でいりいおくじょのBLOG

2024.05.06

読むと書くの教室・「神秘哲学」

今日は読むと書くの教室で、「神秘哲学」の講座です。

 

この講座は、前々回の講座に出席した時に

あまりにもわからなさ過ぎて、心が折れて

これはもう、さすがについていけないから、もうやめようと思ったんです。

 

けれど、なぜかわからないのだけれど

これを学びたいという気持ちが、ものすごく強く

ここでやめたら、もう二度と学ぶ機会はなく

絶対に後悔すると思ったんです。

 

それで、前回は

教室に行くのはやめたんだけれど

やめた後で、すごく後悔して

後日、音声講座(自宅で先生の講座を聞く)を受講したんです。

 

でも、正直、分からないものは分からないまま。

 

なのに!!!

 

もう一度教室に行ってみようと思ったのは

なんだろう?

分からなくても、どうしてもこれを学んでみたいという

内なる衝動が抑えきれなかったのです。

 

分からなくても、学びたい

どうしても学びたい!!

うん、受講するには、十分すぎる理由です。

 

でもね、分からないのに受講するというのは

正直、めちゃ辛いものがあるので

昨日は、前の講座のレジュメも引っ張り出して

徹底的に、何度も何度も読み返してみました。

 

って言っても

正直、何が書いてあるのかさっぱりわかりません。

本当に、まったくわからず

書き写したりしてみたんだけれど

それでも、こんな分からない文章があるか?

って言うくらい、まったくわからん。

 

昨日は一日中神秘哲学と格闘し

結局、さっぱり分からないまま寝たんです。

 

そして朝になって

 

目が覚めた時、一つだけ(正確には二つ)わかった事があった。

 

それは

この神秘哲学は日本語で書かれているって事

そして、これを書いた井筒俊彦さんは日本人であるという事。

 

なんやそれ?

って思うかもしれないけれど

 

それってつまり、

日本人が日本語で書いた文章だってことは

今はわからなくても、絶対に読めるってことだと思ったんです。

 

外国の人が書いた翻訳ものだと

最初は理解できても、最終的にそれ以上近づけないってことが多々あるんですが

 

日本人が日本語で書いたものならば

時間がかかっても、必ず、同じところに行きつける。

 

そして今日は、教室で受講。

 

先生が最初に、

知識と叡智についての話をされたのですが

ああ、なるほどって思ったんですよ。

 

知識は増やし貯めるもの

叡智は育てるもの

 

知識はいずれ不要になる

叡智は、ずっと自分と一緒にいる

 

分からないという事の中に

叡智の種があって

そこには大きな可能性がその中にある。

 

つまり

この本を読んで、ギリシャ哲学の知識を増やすより

分からないという事を大事にすることに意味があるということ

 

確かに

分かった、分かったって思う時

自分の周りに壁を作って、知識という城を築いている

その城が強固になればなるほど、

外が見えなくなる。

 

それに対して

分からない時って

大海原の中にポツンといる感じで

確かに不安だけれど

全方位、いろんなことがよく見えている。

可能性は無限大だ。

 

ここで大事なのは

これを学びたいと思っている真摯な気持ち

 

知識はなくても、理解できなくても

学びたい気持ちがあれば、

それは何にも代えがたい宝だと思う。

 

学びたい気持ちと、分からない事

この二つが自分を支える、きっと。

 

分からないという事を大事にして

それを育んでくことで

自分が本当にやらねばならないことがわかってくるはず。

 

きっとそうだ。

2024年1月7日神秘哲学

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