家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
昨夜のNHKクローズアップ現代
人間VSコンピューター
人工知能はどこまで進歩したか
は、とっても面白く、いろんなことを考えさせられました。
将棋コンピュータ『ボンクラーズ』が
米長邦雄永世棋聖と勝負する、という内容だったのですが
そのボンクラーズというのがすごくて
過去の対戦の棋譜を学習し、およそ人間が指しそうな手を全て記憶しており
その上で、勝利に導く可能性の高いものを
取捨選択できる能力があるという。
勝つ可能性を計算し
ずーっと先のことまで予測に入れつつ
常に、最強の一手を選んでいく。
それに対して
米長永世棋聖は、プロでもあまり使ったことのない手を駆使し
ボンクラーズの予測を超えた所で勝負に挑んでいくわけです。
中盤までは米長永世棋聖、優勢。
ところが途中でボンクラーズがおかしな動きを見せ始める。
明らかに、相手の出方が読めずに戸惑っているような動き。
コンピューターの戸惑いに
見ている側は、人間がコンピューターに勝つかもしれないという気持ちになるわけです。
米長永世棋聖はというと
至極冷静にその動きを見ていて
こちらが、仕掛けてくるように誘導しているのだ、と見るのです。
(後から思えば、その洞察力に脱帽)
挑発には乗らない米長永世棋聖。
持久戦に突入です。
ボンクラーズは
自分の最善手はもちろん米長永世棋聖の最善手も全て計算で割り出していて
米長永世棋聖が最善手を外した時
その一手を決して見逃すことがなく
猛反撃。
最後はボンクラーズの勝利で終わることになりました。
7時間以上に及ぶ試合でした。
これを見て
コンピューターが人間に勝った、とは私は思わず
私は、やっぱり人間はすごいなあ、と思ったんですね。
コンピューターと互角に
最善手を的確に打っていかれた
米長永世棋聖の頭脳には、もちろん脱帽ですが
7時間以上に及ぶ試合となると
持久力と言うか、集中力を維持する精神力と言うか
そういうものも必要になるわけで
コンピューターは何時間試合しようが疲れないけれど
生身の人間が、これを維持し続けるというのはすごいことじゃないかと思うんですよ。
持久戦と言うと
私は歴史小説が好きなんで
戦の時の籠城戦を思い浮かべるんですが
籠城しているのと、外から責めるのとどちらが有利かって話ですが
それは、外から責めるほうが有利なわけで
確かに野営しているので疲れはあるけれど
兵の入れ替えができて、食料の調達も随時出来る状態で取り囲んでいるのであれば
限られた食料と水しかない籠城組は明らかに不利なわけで。
城の中で餓死をするか、腹を斬るか
将がその首をかけて開城するか
あるいは、一縷の望みをかけて、まだ元気なうちに戦争に臨むか。
何れにしても、体力のあるうちでないと、どんな策も成功しない。
人間がコンピューターと違うところは、体力も落ち、集中力も落ちるということ。
こちらが仕掛けない限り
外から仕掛けることはない
仕掛ければ負けるかもしれない
けれど、こちらから仕掛けなければ、どこまでも持久戦が続く。
最善ではない一手をうち、勝負に挑まれた米長永世棋聖に
私は、そんな戦國武将の潔さと勇気と見たのでした。
かっこ良すぎです。
すごいです。
全てを的確に計算し
最善の方法を駆使し、最先端で成功を得る。
それは、ある意味素晴らしいことなのかもしれないけれど
私は、そのことにあまり感動しなくて
最善だけを目的にして
切り捨てていったものは、果たしてムダなものなのか、と私は思うのです。
集中力や体力に限界があり
苦悩し
最善でない方法を敢えて選ぶ。
不完全で、弱点もあり
心の迷いもあり
失敗かもしれないと知りつつ、進まずにはおれない
損得だけじゃなくて
損するとわかっていても、やらずにはおれない
痛い目にあうとわかっていても、進まずにはおれない
それをムダときりすてたら
それは結局、成功ではなく破滅に行く気がして
最善でない一手を敢えて選択する
そんな人間がますます愛おしくなった私でした。
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