家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
昨日の講座で、なんかどっと疲れて帰ってきて
そのままでいりいに書いちゃったんだけれど
その後、すごーく反省したんです。
そんな風に考えてはいけないってね。
自分の思い通りにならないと
ああ、やめたやめた、もーーーーやめたーーーー!!!
って思いたくなるけど
そういう時こそ、
冷静にならなくっちゃ。
そもそも、22回目からの参加で
それ以前の話なんて、分かるはずないってわかって参加しているわけで
それで、なんで今更テンション下がるのよ、私。
もう一度、自分の気持ちをきちんと見つめてみたわけ。
そしたら気づいたこと事が一つあった。
実は土曜日、レジュメを読んだ時に
少しわかったような気がした箇所があって
ああ、これって、もしかしたら、こういう事なんじゃない?って思ったわけ。
それはどういうことかって言うと
実践的徳より、知識の徳の方が上って書いてあるところで
これって
実際に行動することよりも、知識を得る方が上って
言うような意味の事が書いてあるんだけれど
よくよく読んでみると
知識を得る事って、それで終わらなくて
結局は、その後それを行動に移さないと意味がないわけで
(だって知ってるだけで終わってもねぇ)
知識が上と言いながら、最終的には実践につながっている
ってことなんじゃないかと、自分なりに考えたわけ
知る事と、行動すること
この二つは、上とか下とかじゃなくて
知れば行動したくなるし、行動すれば、もっと知りたくなるみたいな感じ
その部分に関しては
自分では一生懸命考えたのよ。
だから講座の中で確かめてみたかったのよ。
その事さえ確かめられたら
大部分が理解できなくても
全く、問題ないはずだったのよ。
ところが、講義の中では、そこにはあまり触れられず
基礎知識がないとついていけないような話が多かったので
たぶん、なんかもやもやしたんだと思う。
でもね、
昨日のレジュメをもう一度見直してみたら
私、ちゃんとメモしてたのよ。
先生は、その事について、ちゃんと話をして下さっていて
私は、しっかりメモを残していた。
結論ではなく道程
経験として価値と意義を獲得する
なるほどね。
今分かった。
今回、自分の中で問いをもって講座に出て
結論がわからなくて、意気消沈した
けれど、
そのこと自体が稀有な経験で
そのことに価値と意義がある
確かにそうだな。
確かに結論は重要じゃない
むしろ、ない方がいい
結論が出てしまうと
もうそれ以上、前には進めないもの。
今、もっと哲学を学びたいと思っている
そのことにこそ、意味がある。
今、ここで、大事なものに出会っている
その意味を、自分でもっと考えてみたいと思っている私がいる。
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