でいりいおくじょのBLOG

2019.05.09

京都・勝竜寺城公園

京都の長岡京市に勝竜寺城公園にいってきました。

もともと、勝竜寺城というお城があったところです。

勝竜寺城というのは、歴史の上ではとっても大事な場所なんですが

今のところ、あまり知られていないかもね。

 

でもね、来年度の大河ドラマ“明智光秀”が始まったら、

きっと、ああ~、あの勝竜寺城ねって思うはず。

 

昨日、山崎の戦いで秀吉が天王山の宝積寺に陣を置いたことを書きましたが

それに対して光秀が陣を置いたのが、ここ勝竜寺城なんです。

 

ここはもともと浅井家の城だったこともあって

そこに嫁いだ娘の玉(のちの細川ガラシャ)がいたから、光秀はこの城を目指したんです。

 

たぶん、光秀は

娘婿の細川忠興が、まさか秀吉側について、

自分と敵対するなんて、想像もしていなかったと思う。

絶対に自分に味方してくれると思っていたと思うんですよ。

 

結局、織田信長を討ったものの

打つための大義名分がなかったから

味方してくれる人がいなかったのかもね。

あの時代、大義名分って、めちゃめちゃ重要だから。

 

兵の数でも、負けているし

あちらは山の上の陣、こちらは平城。

漫画キングダムを思い返してみても(キングダムは、孫氏の兵法の話が結構出てくる)

これはもう、どう考えても秀吉有利です。

 

結局、力及ばず、

城を捨てて逃げ出すことになる光秀。

最後に抜け出したという北門が残っています。

 

ここを出て、自分の城を目指した光秀ですが、戻ることかなわず

途中で打ち取られてしまうのは周知のとおり。

 

この後の謀反人の娘として生きていかなければならなくなった細川ガラシャさんの運命を思うと

かわいそうで、涙が出ます。

 

でも、少なくとも、ここ勝竜寺城で過ごした新婚時代がとても幸せだったことが救いです。

 

毎年、細川ガラシャ祭りというのが

長岡市民の手で催されているようで

細川ガラシャさんの輿入れを再現した行列が、街を練り歩くそうです。

 

ガラシャさんの、一番幸せだった時を、いまでも毎年再現されていることは

少し、心が軽くなる話でした。

健やかにお眠りくださいと、手を合わせた私です。

 

歴史に“もしも”はないけれど

歴史を知れば知るほど、いろんな“もしも”を考えてしまいます。

 

勝竜寺城

 

 

ガラシャ

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