家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
ちょっと前の天声人語に
コロナは、日常生活の中でたくさんのものを奪っていったけれど
その分、逆に聞こえてきたもの、見えてきたものがある
というようなことが書いてあって、確かにその通りだなと思いました。
その時、ちょうど読んでいたのがこれ
「台所のおと」(幸田文著 講談社文庫)
表題の「台所のおと」という短編は
こんなストーリーです。
料理人の夫が病気になり寝付いてしまう。
台所は夫の寝ている部屋のすぐそばにあり
夫は、病床で妻の台所のおとを聞いている。
その台所仕事の、かすかな音が
日々、少しずつ変化していくようすが
素晴らしく繊細な言葉で綴られていきます。
最初は気丈に、いろんなことを切り盛りしていた妻ですが
夫の病気がもう治らないのだという事を知ってから
それを悟られないように悟られないようにと
それまで以上に、気を張って、台所仕事をするんです。
悟られまい、悟られまいと気を張れば張るほど
音は変化し、内にこもっていくんです。
くわいの椀だねを作るシーンは秀逸です。
すり下ろしたくわいを油で揚げる音を
夫は雨が降ってきたと聞き違えるんです。
夫は、病気のせいで皮膚が乾燥してしまっていて
雨の湿気を欲していたんです。
だから、くわいを揚げる音が
細かい霧のような雨が静かにシャーッと降っている音に聞こえたんです。
そして、夫が言うんです。
さわやかでいい音だ、あれはお前の音だ。
妻は、そういう静かで控えめで、けれど人の心に静かに寄り添えるような優しい人なんですね。
もう治らない病気という状況の中で
言葉にできない気持ちを
音が伝えている。
その音が言葉によって耳に伝わり、
言葉では書いていないたくさんのことが見えてくる。
やりきれない切なさも
相手に対する優しさも、愛情も、感謝の気持ちも
全て音になる。
それも静かな静かかな、音にならないような音。
自分の音は、どんな音だろうかと考えました。
そして、日々、その日の気持ちによって、
発している音も違っているんだろうなあ。
この本は、短編集で
表題の「台所のおと」以外にも、いい話がたくさんあって
「おきみやげ」という話も好きでした。
お世話になったおうちのおじいちゃんが、危篤状態になっていて
親戚の人たちも集まってこられているというので
その人たちの食事も準備も大変だろうと心配になり
おでんを持って行ってあげるんです。
そうしたら、そのおうちの奥さんは、思った通りぐったりやつれておられて
持って行ったおでんは、とても感謝されるんです。
ところが、そのおでんの匂いを嗅いだら
危篤状態のおじいちゃんのいしきがもどり、食べたいと言い出して
一口食べたら、食欲が戻って、みるみる元気になった。
それはそれでよかったんだけれど
元気になったおじいちゃんは、それまで無口だったのがおしゃべりになり
おでんを食べたがるようになり
今度は、おじいちゃんと話をしたり、おでんをつくったりと
逆に手がかかって忙しくなり、大変になってきた。
それで、おでんを持っていた人は、もしかしたら余計なことをしたのではないかと
気を病むんだけれど
でも、そのおうちの人が言うんです。
今まで、こんな風におじいちゃんの話し相手になってあげたこともなかったし
おじいちゃんの食べたいものを聞いて、作ってあげることもしてあげなかったことに気づいたと。
だから、この忙しさは、とってもうれしいと。
この話も、
何か一つ状況が変わることで
それまで見えなかったことが見えて、気づかなかったことに気づく話
何気ない、日常のささやかな事ですが
なんだかちょっと幸せになる。
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