でいりいおくじょのBLOG

2013.05.13

ガンバラナイけどいいでしょう

最近、気に入っている歌があります。
ビールのCMで流れている曲なんですけど
なんか、ウンウンとうなづいて、ちょっと泣きそうになってしまう。
「ガンバラナイけどいいでしょう」
(吉田拓郎)
 
この歌を聞くと
わかる、わかる、そうそう、そうなんです~って感じで
本当にそんなにガンガン頑張らなくてもいいんだよって思えます。
自分なりのペースで頑張っていれば、それでいいんだって。
 
本当は、誰かにそういう風に言ってもらいたかったんだって
頑張り続けるのってしんどいなって
心のなかでは思っていたってことに気づくんです。
 
歌詞の中に
このごろ、何かを気にしていて
誰かの顔色を気にしていてるんだね
というところがあって
 
確かに、頑張っている人を見ていると
たしかにそれは尊いことだし立派なことだけれど
その人が10頑張っているからといって
自分が8しか頑張れなかったとしても
別に頑張ってないわけじゃないし
10頑張ることだけが偉いわけじゃないし
 
人から見たら自分は頑張っているように見えないんじゃないか
頑張ってますっていうオーラを出さないと
頑張ってないみたいに見えるんじゃないか
ダメな奴って思われるんじゃないか
実態のない焦りのようなもので気持ちがどんどん追い詰めていくみたい。
 
私自身、なにか熱病に冒されているみたいに
頑張れ頑張れってガンガン前進していた時代を生きていきたわけで
頑張ることが美徳と思って、
ひたすら前だけをむいて走り続けていたような時期もあって
 
たしかにあの時は、何かを成し得たのかもしれないけれど
だからといって頑張り続けなければならないということじゃないし
それよりも、人間そうそういつまでも頑張り続けられないし
小説「通天閣」にも書かれていたように
輝き続けていなければいけないかというと、そうではないとおもうんですね。
自分らしい所にうまく着地することもまた大事なはず。
 
この前、何かの本の中に
人生100年と書いてあって
つまり、人生を100年だと思って、
うまくエネルギー配分したり、自分をいたわったりして生きることが
これからの時代は大切なんじゃないかと。
 
たしかにそうだと思う。
生き急ぐ必要はない。
 
私は自分の娘や息子にも言っているのですが
10代で自分の将来をきちんと設計できる人もいるけれど
20代になって、未だに自分のすすむ方向がわからなくても
別に、焦る必要はないと。
 
だって、人生100年とすれば
私でさえ、ようやく折り返し地点まで来たところなんだし
50年生きてきても
まだ自分というものをわかっていないし
まだまだ自分の知らない可能性みたいなものもあると信じているし
 
息切れすることなく
自分なりのペースで
コツコツ、生きてみる
人と比べてどうってことじゃなくて
自分らしい生き方。
 
ガンバラナイけどいいでしょう?
うん、いいよ、いいよ。
自分なりってことでいいよ、と思います。
 
*YouTubeとかでも聞けますので、良かったら聞いてみて下さい。

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