家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
学び続ける力」
(池上彰著 講談社現代新書)
を読んでみました。
この本は池上さんの最新刊で
池上流「現代版教養のすすめ」です。
池上さんのお父様はとても勉強熱心な方で
その姿を見て、
学ぶことの喜びを学ばれたそう。
そんなエピソードから、この本は始まります。
それから、池上さんが東京工業大学で
リベラルアーツという、いわゆる一般教養を教えておられる話などあり
「すぐに役に立つ知識やテクニックなど、すぐに役に立たなくなる」
むしろ「すぐに役立たないこと」を学んでおけば
「ずーっと役たつ」、ということや
学ぶことの楽しさを、わかり易い言葉で書かれています。
また、教養ということにも触れられていて
一昔前まで、「教養のある人」というのは
沢山の本を読んで、モノをよく知っている人を指しましたが
今の時代は、それだけではダメなのではないかというのです。
たとえば3.11の時に浮き彫りにされた問題点があげられていて、
理系の専門家の人が説明される言葉を
テレビの前で見ている文系の人間が理解できなかった。
理系の人にとっては、当たり前に使っている専門用語が
普通に暮らす文系の人には、今まで聞いたことのない言葉だったんですね。
日本語なんだけど、それを理解できない。
知識を持っていることは大切ではあるのだけれど
知識があるというだけでは、役に立たないという例で
知識をいかにわかりやすく伝えていくか
言ってみれば日本語を簡単な日本語に翻訳する能力が必要だというのです。
また、
知っているという知識の量だけなら、人間はPCにかなわないわけで
PCの上をいくためには、
知識と知識を関係付けたり、つなぎ合わせたりする能力
そして、実践する能力などを兼ね備える必要もあるとも書かれています。
今の時代、教養があるということは
バラバラの知識を関連付けて、実際に使える力に変えられる力のことだというのです。
グイグイ、読み進めて
もっともっと、勉強しなくちゃと思える一冊。
池上さんの書かれていたことを料理に置き換えて考えてみました。
家庭料理がひと通りなんでも作れるということは
家庭料理研究家としては最低限必要なこと。
これは知識があるということです。
一昔前までなら、それで与えられたテーマに沿って
料理を紹介するだけでよかったと思うんです。
でも、今の時代、
PC検索すれば、いくらでもレシピは出てくるわけで
与えられたテーマで料理が作れるという、
それだけではもうダメなのではないか。
そんな気がします。
その知識を、いかにわかり易い言葉で伝え
料理以外の分野の知識をつなぎ合わせ、関連付けながら
実際の料理として表現していく。
そのためには、料理以外の様々な分野の知識も必要です。
そう思えば、
自分はいかに知らないことがたくさんあって
勉強すべきことも、呆然とするくらいあって
教養とは程遠いところにいる自分に対して
絶望的な気持ちにもなりますが、
でも知らないからこそ
わからない部分、専門的すぎてわからない部分が見えるわけだし
わからないことをコツコツ勉強するからこそ
どうすれば分かるのかも、わかってくる。
池上さんいわく
理系の専門知識だけでも、文系の経済知識だけでも解は出てこない。
既存の枠組みを一歩も二歩も踏み出さなければ対応できない。
家庭料理もまた、
材料や調味料の配合という枠組みから、一歩も二歩も踏み出して
健康や、作る楽しさや、満足感や、経済性や
台所の片付けの煩わしさを減らすことや
いろんなことを、総合的に、つなぎあわせて関連付けて
対応していくことが必要になってくるのだと思います。
美味しいということはもちろん大切だけれど
それだけじゃない
体にいいことは大切だけれども
それだけでもない
おいしくて、体に良くて
作りやすくて、お金もかからなくて
いろんなことを欲張りにつなぎ合わせられる力
学び続けることの先に、
家庭料理研究家の可能性と意味があり
自分のやるべきことも、そこにあるのではないか
この本を読んで思ったのでした。
コメント