でいりいおくじょのBLOG

2013.03.05

何者

自分が歳をとったかも、と思うのは
若い作家さんの本を読んだ時
その感覚についていけなくて
自分の中にある昭和を再確認する時。
だから、ついつい今どきの本はちょっと避けるような傾向があって
直木賞を受賞したこの本も、
話題になっているのは知っていても、あまり興味がなかったんです。
 
「何者」
(朝井リョウ著 新潮社)
 
そんな私が、この本を読んでみようと思った理由は
この本のテーマが、大学生の就活で
実はうちの娘が今年大学3年で、いよいよ就活が現実のものになる時期なので
今時の就活事情を知ってみたいという
言ってみれば、現実的な興味だったのです。
 
でも、そう思って本を手にとった時点で
実は、作者の思惑にすでにまんまとハマっていたんです。
 
ストーリーとしては就活に振り回される5人の大学生の日常を書いているのですが
「就活」はこの物語に入り込ませるための餌に過ぎず
本当のテーマは別のところにある。
 
本当の自分は、どんな人間なのか
自分は一体何者なのか
 
小学校から中学校、高校という風に
学生でいる間は
学生とか、誰かの娘とか息子とか、
なにか目に見えないもので守られている立場というものがあって
けれど、社会人になる時、その自分を守ってくれていたバリアーがなくなる。
 
それは誰にとっても、恐怖だし不安だし、
平気でヒョイッと飛び越えられる人もいるのだろうけれど
でも、それでも自分って一体何なのか
自分はどこに向かおうとしているのか
ということを、考える区切りの時期であるはず。
 
それは昭和であっても平成であっても、同じだと思う。
 
でも、確実に違うところは
昭和の時代なら、そういう不安や疑問について、
自分の心の中で考えたり、ノートに書いたり
あるいは親しい人に打ち明けてみたり、ということで折り合いをつけていたのに
 
今の時代はメールやツイッターやフェイスブックといったもので
気軽に外に向かって発信できるようになったから
発信することで、自分というものを確かめたり
自分というものはこういうものですと定義付けたりするようになったこと。
 
でも、誰もが手軽に発信できることで
逆に発信しないということが、ある種の恐怖になったり不安材料にもなる。
また、発信するために言葉を選び
自分がそれによってどう見られるかも、計算することになる。
その結果、発信している一方で
本当のことは埋もれていったり、伝えたくても伝えられなくなったり。
 
本当に伝えたいことは
どんなに言葉を尽くしても100%伝えることは難しい。
その難しいことをメールやツイートやフェイスブックの短い言葉で伝えようとした時
切り捨てた言葉の何に埋もれていしまっている本当のことは
伝わったことよりも圧倒的に多いのではないか。
 
大学生の娘を見ていて
今時の友人関係というのは
明らかに私が大学生だった頃とは違っていて
(携帯電話もないし、もちろんメールとかもなかったし)
24時間態勢で、いつでも誰かとつながっている状況で
だから、人間関係が近いかというと
どこか、遠い感じもして
深い本音を言っているようでもあって、実は本当のことは隠しているようでもある。
 
いや、そういうことは、私の若い時にも確かにあって
自分の中に、優しい自分も意地悪な自分も、ひがみっぽい自分もいて
いろんな自分の中から、なるべく嫌な自分を人前では出さないように気をつけて
なるべく自分の理想像に近づくように振る舞う、というのは
同じなのかもしれないけれど
出さなかった方の自分との折り合いの付け方が、決定的に違う。
 
娘の世代の子達を見ていると
時に、痛々しく感じることもある。
 
自分が知っている本当の自分と
なりたかった自分と
他人から見られている自分と
現実の自分との間には、果てしないみぞがあって
その距離を埋めることはできなくて
 
私の中にあるいろんな自分像の中で
何者にもなれないでもがいていたりするのは
50年生きても結局は同じで
答えなどでないのかもしれません。
 
でも、もがいていることが
生きる目標になったり、生きる意味だったり
生きるエネルギーもなるわけだから
 
娘が、私の分からない価値観の中で苦しんでいても
自分で頑張って踏ん張るしかなく
何も手助けなどできないまま、見守るしか無いんです、きっと。
 
この物語の登場人物と同じ年代の人にも
この年代のこどもを持っている世代にも
考えるヒントがたくさん詰まったオススメの一冊です。
 

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