でいりいおくじょのBLOG

2013.03.31

最果てアーケード

昨日の朝、「サワコの朝」
ゲストは小川洋子さんだったので
ワクワクして拝見しました。
小川洋子さん、大好きなのです。
小川洋子さんは
芥川賞受賞作品「妊娠カレンダー」以来のフアンで
いまだにグレープフルーツを食べる時は
グレープフルーツの皮をジャムにして、煮ている時の香りとか
ほろ苦い味が口の中によみがえったりします。
 
そして2~3日前に読み終わった
「最果てアーケード」〈講談社〉も
とっても暖かくて優しくて、静かないい作品でした。
 
物語の舞台は世界で一番小さいアーケード。
ひっそりとして目立たず、
中は薄暗くてほんの十数メートルで行き止まり。
お店はお揃いの2階建ての作りになっていて、
どのお店も古びていて、どこか崩れかけたり、看板の文字が消えかかっていたり。
 
主人公はそのアーケードの大家の娘。
街の半分が焼ける大火事があり、
街の映画館も保健所も協会も市場も全部消失してしまったのに
このアーケードは焼け残り
でもお父さんはなくなってしまった。
 
まるで、何かの表紙にできた世界のくぼみのようなアーケードの中の
小さなお店の店主たちと、そこにやってくるお客さんと、主人公の少女と犬のお話です。
 
アーケードのお店は
わっか屋さんと呼ばれるドーナツ屋さん、義眼屋さん、ドアノブ屋さん、勲章屋さん
古いレースばかりを売っているお店、古い絵葉書を売っているお店
少女は、それらのお店の商品の配達を手伝っています。
 
このアーケードに訪れるお客さんは
静かで、ちょっと風変わりで、けれど、他のどのお店でもなく
このアーケードにひっそりと並べられているものを必要としている人たち
 
ひっそりと静かに、淡々と毎日が繰り返されていくアーケードの住人たち
けれど、その何にも変わらない静かなくぼみのような世界の中でも
確実に、ときは刻まれて、すこしずつ何かは移ろい変わっていく。
 
変わっていくものと、変わらないもの
死んでいくものと生き残ったもの
 
けれど、
変わっていくものが残した空洞を、変わらないものがさり気なく補い
死んでいくものが残した隙間を、生きているものが静かにそっと埋め合わせる
 
死んでしまった人が生きたかったであろう人生も
誰かが代わりに生きてくれている。
 
目に見えるところはなんにも変わっていないように思えても
そんな風に、時間はゆっくりと過ぎていく。
 
だから、今ただそこにいて、生きているというだけで
自分の存在が、誰かの隙間を埋め合わせているかもしれないし
また、自分が日々すこしずつ失っていっているものを
誰かがさり気なく埋め合わせてくれている。
 
「サワコの朝」で
小川洋子さんが
昔は人間の暗い部分に光を当てて書きだそうとしていただけれど
今は、もっと人間の美しい部分を書きたいとおっしゃっていました。
 
この本は、まさにそんな物語です。
大事な人やものをなくした悲しみに寄り添いながら
それでも決して、それは悲しいことではなく
そこから始まる、人の優しさや暖かさを再確認し
小さな希望と一歩踏み出す勇気を与えてくれるお話なのです。
 
人はみな、物語を必要としている
 
これは、別のエッセイの中で小川洋子さんが書かれていたこと
 
子供だけではなく、大人も時に物語を必要としていて
それによって、助けられたり慰められたりします。
この本は、まさに、そんな物語を必要としている人のための一冊です。

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