家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
法事に行って来ました。
父親の七回忌
七回忌だし
この寒い時期に
遠くから来てもらうのも気の毒だとう言うことで
京都に住んでいる親戚と兄夫婦だけの
ささやかな集まりでした。
考えてみたら
こんな法事みたいなことがなければ
親戚や兄夫婦と一緒にご飯を食べたり
ゆっくり話をしたりするようなことがなかなかないわけで
父は現実には亡くなっていないのだけれど
ここにこうやって人が集まる機会を与えてくれているのは
紛れもなく父で
そう思うと、
人は亡くなってもなお、誰かのために生き続けているのだということを
あらためて思いました。
そして自分もまた
そういうふうに生きて、亡くなり、亡くなった後も生きてみたいと思ったのでした。
最近読んだ
「近代文明はなぜ限界なのか」
人類を救う哲学
(PHP文庫 稲盛和夫/梅原猛著)
という本の中で
梅原猛先生が
浄土真宗の開祖、親鸞の
『教行信証』の中の二種廻向という説について語っておられて
二種廻向とはつまり
人は、死ぬと阿弥陀さんのおかげで念仏を唱えれば極楽浄土に行くことができ
また、念仏を唱えれば阿弥陀さんのおかげでこの世に帰って来られる
死んだら、そのままなんにも無くなってしまうんじゃなくて
無限にこの世と極楽浄土を往復する、という考え
梅原先生いわく
これだと死ぬのが怖くなくなる
また生まれてきて、また人を救って死んでいけると考えられるからです。
私
法事でお坊さんの読経を聞きながら、
そのことをずーっと思ってたんです。
父は極楽浄土に行って
今極楽からこの世に帰ってきている所で
その途中にも与えられた役割があって
残された人がばらばらにならないように
きちんと見守っている
人は極楽にいった後も
こんなふうに人のために生きているのだと。
そうして、この世に帰ってくるまでの時間を過ごしているのだと。
でもいつか、父を知っていた人たちもみんな死んでしまうわけで
そうなったときに
父はもう一度この世に生まれててきて
また人のために生きていくんだなって
次は一三回忌だね
それまで元気でいないとね
そうだよ、一三回忌でまたみんなで会おう!!
約束、約束。
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