でいりいおくじょのBLOG

2012.02.10

下山の思想

『下山の思想』
(幻冬舎新書 五木寛之著)

を読みました。
下山とか、下とかいうと
力や勢いがなくなるとか
価値が下がるとか、貧乏になるとか、だめになるとか、
マイナスのイメージがあるけれど

この本に書かれているのは、そういうことでは全くなくて

登山というのは
山を登ることだけではなくて、
「登って」と「下りる」がワンセット。

登るときは上だけを見て必死になっていて、それはそれで価値のあることだけれど
下りる時こそ大事で
それまでの自分の来し方を振り返り
周りの風景を再確認する余裕も生まれ
また、日常の中で、新たな山を見つけることもできる。

それは人生にも言えることで

どう山を下りていくかということは
つまりは、これからどう生きていくかを考えることになる

この本は
人生をどう振り返って、周りをどう受け入れて
これからどう生きていくか、という指南書です。

この本の中で心が強く動いた部分はいろいろあるんだけれど

白でもなく黒でもない
現代はそんなふうに白黒つける時代ではない、というのには、すごく共感しました。

若い頃は
何が一番正しいのか、とか、何が一番美味しいのか、とか

とにかく正しいのか間違っているのか、いいのか悪いのか
おいしいのかまずいのか
とかく黒白付けたがった

例えば
子育て1つにしても
私は、子供はのびのび素直に育てばいいと思っていて
それは、もう自分の中では信念に近いもので
周りのお母さんたちが、どこの塾がいいとかゲームは30分までとか
そんなことをきちんとやられていても
自分ちは自分ち、と思っていて
のびのび素直が一番、という考えが揺らぐことは全くなかったんですね。
つまり、自分は自分のやり方でこどもを育て
それが正しいと信じて疑わなかったんです。

けれど
受験期に突入して、
のびのび素直、だけではどうやっても乗り切れない現実が目の前に立ちはだかり
自分のやり方は、もしかしたら間違っていたかもしれないと思った。
私は、母親としては無能だったのだと思い、
申し訳ないやら、情けないやら、ただただ後悔。

けれど、最近になって
やっぱりそうじゃないと思い始めています。

20年なり、24年なり
子供は育ち、私は母親でありつづけ
それがどんな生き方であったとしても
上も下もなく
優劣もなく
ただそこには、生きただけの時間が流れていて
大切な事は自分がそれをどう思うかということだけ。
卑下することも、自慢することも、ない。

「博士の愛した数式」(小川洋子著)

という小説、大好きな小説なんですけど

その中で出てくる
オイラーの公式
eπi+1=0
(eのπi乗+1イコール0)

この小説はもうずいぶん前に書かれたもので
映画化もされたものですが

私はこの公式は、いつもいつも思い出していて

eのπi乗というのはなんとも複雑な未知数ですよね
これを例えば人間を表していると考えてみるのです。

そうすると
どんなに複雑で理解し難いように見える人でも
何かをプラスしないとゼロにならないわけで

何かが1つ、欠けている。

大人になるということは
自分の中の欠けている部分に気づくことであり

自分の周りの人の、マイナス1にも気づくことであり

それを全部受け止めることができるということじゃないかと、最近思っています。

これを世の中で起こっていることだと考えれば
完璧なこと、絶対なことなどないんだというふうにもとることができます。

黒か白かはっきりさせるのではなく
-1、足りない不完全さを受け入れること。

自分自身の-1を謙虚に受け止めて
謙虚に、許しを乞う。
謙虚に教えを請う。

そうやって、自分の生きていきた道や周りの風景を
ゆっくり受け入れながら下山の境地に入りつつ
また新たなる山に出会えればいいなと思った本でした。

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