でいりいおくじょのBLOG

2015.07.14

読書日記 「百日紅」 杉浦日向子著  筑摩書房


関西人の私に、お江戸の良さを教えてくれた人、それが杉浦日向子さん。

江戸っ子の庶民の暮らし、食べ物、楽しみ

そのエッセイを読むと、だれでもたちまちお江戸と杉浦さんにぞっこん惚れてしまう。

杉浦さんの描くお江戸ワールドが大好きでエッセイは随分と読んできたのだけれど

漫画はなかなか手に取る機会がなく

ちょっと前、アニメ映画になったことで話題になったので

ようやく手に取ることができました。
 

いやあ、漫画もすごいですね。

特にこの百日紅は、杉浦さんの漫画の中でも最高傑作といわれるだけあって

エッセイと違う感覚の、杉浦お江戸ワールドにタイムスリップできます。
 

さて、この漫画

主人公は、かの葛飾北斎とその娘お栄。
 

題名の百日紅(さるすべり)は

梅雨明けと同時にワーッと咲きはじめ、

その時期は道が薄桃色になるくらい花をちらし

枝はというと、どこの花が散ったの変わらないくらいたわわに花を咲かす。

百日紅は、後から後からいくらでも咲く花。
 

花を咲かせて散らして、またモリモリと咲かせて散らせて

枯れるということがない。
 

そんな風にあふれ出る才能、アイデアを持った人を、天才という。
 

葛飾北斎は、量産に次ぐ量産をし

どんなジャンルでも、どんな手法でも、どん欲に挑戦し自分のものにした。
 

まさに、北斎こそが百日紅。

まさに言いえて妙のタイトル。
 

ところが、この葛飾北斎。
 

杉浦日向子さんの手にかかると

間違いなく天才なのに、どこまでも普通のスケベなおっさんになる。
 

汚い長屋暮らしで、

お金にせこく、女にだらしなく、

好奇心旺盛で、フットワークが軽い。
 

この底知れぬ好奇心と探求心。

自分の目で見たもの、自分の心で感じたことをよりどころに

才能や名声に執着しない。
 

本当にだらしなく、汚いおじさんでしかない北斎なのに

 杉浦さんの手にかかると、その才気と偉大さがページの端々からあふれる
 

まさにこれが、天才の天才であるゆえんなのかも。

(北斎も、杉浦さんも)
 

この本は、ショートストーリの漫画で構成されていますが

どれも、短い物語の中に、ぐっと深い人の心の本当の核になるようなものがあって

何とも言えない、じんわりとした余韻を残してくれるのもいいところ。
 

この時代、葛飾北斎と、歌川豊国が浮世絵界を二分する大御所で

北斎は絵師本位で、自分の書きたいものを自由奔放に描いたのに対して

歌川派は、あくまで受けて重視で喜ばれる絵を目指したそうな。

(豊国も大好きな私は、この辺の話も読んでいて位興味尽きないところ)
 

中でも歌川派門下の三羽カラスの一人、歌川国直は

歌川派なのに、北斎に師事している。
 

その国直は北斎の自由奔放を取り入れようとするが

歌川には歌川のやり方があるのだから

人を驚かせたり、感心させるような小賢しいことはするな

人に好かれる絵をかけと、先輩に叱られるシーンがある。
 

確かに、プロというのは、人を驚かせたり、感心させたりすることを狙うのではなく

世の中の求められるものに、いかに寄り添ったものを作り出せるのかということは大切で

好かれる仕事をするというのは、間違いなく大切なことだと思う。
 

けれど、その向こうに、もっと大切なものが確実にあって

それは、

抑えても抑えても湧き上がってくる好奇心や探求心や

自分自身がわくわくしたりドキドキしたりすることや

自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の心で感じること。
 

そんな、内から湧き上がってくる情熱というか

ほとばしるエネルギーというか、

それがあるから百日紅のように次から次へ花を咲かせ

また、咲いた花には執着せず

あたり一面花を散らしてもなお

自分の内なる情熱を次から次へと新しい花にすることができる。
 

 

好奇心、探求心、遊び心、ワクワク、ドキドキ
 

そんな尽きることのない内なる力を持っていた人、それが北斎であり、杉浦さんなのだと思った。
 

そして、そういう人を、天才というんだと思う。
 
 

内から湧き上がってくる力。

その先に付ける花。

凡人の私にも、それは確実になある。

私の中にある、そんな力を

大切に大切に、料理をしていきたいと思った。

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