家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
なんか、最近、
昔のことを良く思い出すようになりました。
年齢的な事なのかな。
特に、父親の事とか
ものすごく思い出します。
父親が亡くなって、もうかれこれ20年近くたつのに
ここへきて、
はじめて、深く父親と向き合った気がしています。
私が生まれた時
父は日本におらず
父が亡くなった時
私は日本にいませんでした。
ギリギリお葬式には間に合ったものの
死に目に会えなかったことで
たぶん、父親の死というものに、向き合わないまま
20年近く過ごしたんだと思います。
ここへきて
あれこれ思い出すようになって
もう少し、生きている間に話をしたかったなあという気持ちになって
一人泣きました。
お葬式では、まったく泣いたりしなかったのに
20年たって
はじめて泣きました。
あらためて
私は、父が好きだったし
父から愛されていたことを思います。
なんか、時間の感覚がずれてるわ、私。
でも、父親の事だけじゃなくて
これまで生きてきたいろんな事を
向き合ってこなかったいろんな事
そろそろ、一つ一つ向き合っていかないといけないなあと思う
今日この頃です。
ぼくも愛してます・・。
コメント
お父様が亡くなられてからの20年、先生にとっては日々の暮らしやお仕事で目一杯 奮闘された時間だったとお察しします。
ここへきて、お父様との思い出や一緒に過ごされた日々を改めて振り返る事、その事自体が天国のお父様への御供養ではないでしょうか。
亡くなられた方にとっては、忘れられる事が一番悲しく、辛い事なのではと 私は思います。
そうですね。こうやって思い出すことが供養になりますね。
けれど、今までにないくらい、父が身近に感じられるんです。
不思議なんですが、何か大きな転機なのかもしれません。
年齢的にも、そんな気がします。
両親の亡くなった年を超えたとき、両親のそのときの気持ち、体の状態など、ああこういうことだったのかと理解できます。
年をとって新たな気づきがあります。
そういう時、両親を近くに感じます。
ホント、そうですねえ~。
歳を重ねるごとに親が恋しくなります。会いたいなあーって思います。こんなお婆さんになったのか と父はきっと泣くと思います。一緒に歳を重ねていけたらもっと良く知りあえたのにと悲しくなります が一緒にいたらケンカして甘えるだけだったかな〜。親子って不思議ですね。
私も、今あったら、もっと色々話ができたのになあ~ってお思います。
でも、思い出すことで、実は会話はできているのかもと思ったりもします。
思い出すことで、気持ちは通じていると思うのです。