家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
6月30日付朝日新聞
「人生レシピ」の3回目です。
今回はYoutubeの話。
記事の中でも書いてもらったのですが
料理の楽しさを伝えること
料理が嫌いな人、苦手だと思っている人にも
なんだ、こんな簡単な事だったのか
と思ってもらえるようにする事
それが、今Youtubeで、私が目指していることです。
私の母は、料理ができませんが
その母でも
あの頃に、そういうYoutubeがあったなら
そういうことを教えてくれる人がいたなら
もしかしたら、料理を作ろうと思ったのかも
と思っているのです。
最初から、そう思って始めたわけではなく
「料理嫌いだったけれど、楽しくなってきました」
「料理苦手ですが、美味しくできました」
「不器用ですが、これなら作れます」
というようなコメントをたくさんいただき
そのことで、きづいたんです。
料理のできない母親に育てられた私が
家庭料理研究家になった理由は
ここにあったんだ。
それが、私の与えられた使命だと
気付くことができました。
私の母は料理をしなかった
その事はこれまで、いろんなところで言ったり書いたりしているので
それはもう、間違いない事なんですが
それを一番最初に本に書いた時
実はめちゃめちゃ辛かった。
それはもう仕方ないと、子供の頃から思ってはいたのだけれど
料理の道に進もうと思った時
この事実は、私にとって、ものすごく重たい事に思えたんです。
母親が料理できない家庭料理研究家
しかも、料理の学校も出ておらず
すべて独学で料理を研究してきた
誰がそんな料理研究家の料理を知りたい?
でも、そのことを隠し続けていては
料理研究家として、前に進めないような気がして
だから、言葉にしようとしたんだけれど
思った以上に辛すぎて
書いては消して、書いては消して
ボロボロ泣きながら
書いては消して、書いては消して
たったそれだけのことを書くのに、一か月以上かかったと思います。
そして、それから
こんなことで負けてはいけないと思いなおし
負けないために
あちこちで、このことを口に出して言い
心を鍛えました。
最終的には、笑って言えるまでになりました。
その一方で
毎日、毎日家族に料理を作り続けました
家族のためにきちんと料理を作って、一緒に食べることで
自分の欠けているものを補い
私が一番欲しかったものを得られると思ったのです。
自分が毎日料理を作って家族食べさせ続ければ
もう、家庭料理を知らない家庭料理研究家ではない
そうやって、毎日毎日料理し続けることで
私の料理研究家としての道ができていきました。
だから私の料理は
私の中で欠けていて
私が一番欲しかったものでできているのです。
しかし、まだこの時点では
自分の欠けている部分を埋め合わせるために料理をしていた
のかもしれません。
2年前にYouTubeを始めたのは
動画もいいかもって思ったからで
深い意味はありませんでした。
でも、1年くらいたったころから、
だんだん自分の目指す方向が見え始めました。
私は、料理が苦手で嫌いな人でも作れるレシピを
紹介するのだと。
頭に浮かんでいるのは
料理嫌いの母の姿です。
母でも作れるかどうか
そのことを常に思っています。
YouTubeのおかげで
私が料理を紹介する意味が、やっと分かりました。
だからYoutubeには、本当に感謝しているのです
たくさんの人につながれたこと
たくさんの方が、毎回作って下さって
たくさんの方からのコメント
その一つ一つに、感謝しています。
自分が、今、生きている意味を教えてもらえたことに
心から感謝しています。
楽しく作った料理を
ニコニコしながら食べる
そんな時間が増えますように。
これからもよろしくです。
ボクにもごはんを・・・。
コメント
おはようございます😊私にも似たような事があります。。。長~くなるのでまた時間のある時にコメントしますねー😃今日もステキな1日になりますように✨
コメント、ありがとうございます。
長~い話、時間があって、書く気になったら
聞かせて下さいね。
はじめまして。私はYouTubeで先生に出会い、人生が変わりました。
これまで、料理が嫌い・苦手というわけではなかったのですが、特別好きでも得意でもなく
食べることは食欲を満たすこと以上の何者でもなかった気がします。
けれど、先生の動画を拝見して、実際に作って食べてみることを繰り返すうちに
食べることは、自分の気持ちと体を幸せな気持ちと栄養で満たすことなのだと身にしみて理解できました。
疲れて帰ってきても、先生のレシピなら10分やそこらで作れる上、非常においしいごはんが食べられて
疲れも吹き飛び、一日を幸せな気持ちで締めくくれます。
自分で作ったごはんがおいしい、ただそれだけで、こんなにも人生が楽しくなるなんて、思ってもいませんでした。
火曜・金曜の夜はアップされた動画を見ながらすぐに作ることもありますよ。
先生には私の人生を救っていただきました。出会えて本当に感謝しています。
大好きです♡いつもありがとうございます。
これからもずっと応援しています!
うれしいコメント、ありがとうございました。
とても励みになります。
毎回、これでいいのか、これで伝わっているのか
正直、迷いながら動画を作っています。
こういうコメントを頂くのが、何よりの励みになります。
本当に感謝いたします。
これからもよろしくです。
朝日新聞の記事を読ませていただきました。
思い返せば数ヶ月前、高齢の母の食事が栄養不足だと知り、とりあえず高野豆腐を買い、料理嫌いな私がYouTubeを検索して見つけたのが奥薗先生の動画でした。先生の動画はどれも楽しくて、ほんとうに「私でもできそう」って思わせてくれました。
それ以来、あれだけ面倒くさがりだった私が、食材を準備して、包丁を握り、料理を作っています。
奥薗先生には感謝してもしきれません。ありがとうございます!!!!!
このブログからも、料理、人生に対する先生の思いがひしひしと伝わってきて、とても励みになります。
今後もずっとYouTube続けてくださいね!
うれしいコメント、ありがとうございます。
お母さんのお身体は、その後どうですか?
楽しみながら作った料理は、それだけで美味しさ増し増しです。
これからも、どうぞよろしくです。
コメント、本当にありがとうございました。
今日の先生の言葉を泣きながら、読みました。
私の場合は同居していた父方の祖母と母の仲が悪くて、料理や家事をした事がないまま育ちました。
医療職だった母は忙しそうに家事をしているか、夜勤明けで寝ているか。祖母も孫の私達の世話で手いっぱいのようでした。
急かされて食べる食事、おやつは自分でハ◯スの牛乳を入れたり凍らせて作るゼリーやアイス。食事に暖かい匂いや味、思い出なんかありません。
そんな風に育った私は大人になってからは「料理ができない、食に興味が持てない」というコンプレックスと共に生きてきました。
そんな私に対して、母は「おばあちゃんに預けたから、こんな何にもできない子になった」と言い、祖母が大好きだった私に大きな傷となり、HSPの症状がますます強くなりました。
卵焼きやお味噌汁の作り方を知ったのも、結婚してからだったので、今でもそうですが、毎日の食事を作ることは私にとって辛い闘いでしかありませんでした。
そんな時に新聞で奥薗先生を知った時には「それで、ええんで〜」と言われたようで、とても救われた気持ちになりました。
先生のレシピで料理していると、子供の頃に味わえなかった暖かさを感じ、先生と一緒におしゃべりしながら料理しているようで、欠けた時間を埋め合わせている感じです。
先生がお母様の事を悩みながらもレシピを考えて下さっていたから、私のような料理下手の心に響くのだと思います。
本当にありがとうございます。
コメント、ありがとうございます。
私もそうなんですが、書くことで何か気持ちが整理できることってありますね。
コメント、書いてくださったことで、何か気持ちが少し軽くなっていればいいなと思います。
これからも、よろしくです。
書いてくださって、本当にありがとう!!
母親が、料理が好きだから子どもも料理上手という先入観、私にもありました。
先生、独学で料理を研究されたんですね!
すごい😍尊敬します。
先生の料理のすごいところは、敷居の低さです。
餃子が大好きですが、他の方のやり方は、複雑で、あきらめていました。
だから、餃子は、買うものでした。
先生の動画を見て餃子の作り方を見て、
私にも出来そうと初めて思い、30分で作りました。
シューマイ、ハンバーグにもチャレンジします。
好きなものが、簡単に作れるって幸せです。先生、いつもありがとうございます😭
そうですよね。
今から30年以上前の話なので
まだまだ世の中は、良妻賢母が一番、みたいな考えがあり
女性で、母親で料理をやらないなんて、考えられない時代でした。
餃子作って下さって、ありがとうございます。
喜んでもらえてうれしいです。励みになります、感謝感謝。
私は、奥園先生と真逆で、実家の京都の母は、調理師免許も持つ料理上手の母です。幼稚園の遠足のお弁当に、銀杏とうずら卵を楊枝に刺した物があり、私は銀杏の苦いのがイヤでした。でも残して帰ると怒られると思って、水筒のお茶が無くなるまで、お茶で流し込みました。
小学校での給食は、今と違って50年前ですから、こんなマズイものみんなよく食べれるわぁって思ってました。残すことは許されない時代で、ぐすぐす掃除始まるまで食べ終わらなければ、先生に「給食室へごめんなさいって返して来なさい」って言われるまで待ってました。
でも、私は何度も返しに行ったのに給食室の先生は、いつも「いいのよ」って優しかったなぁ。
OLになり、彼とドライブ行く時のお弁当作りを、早起きして作ろうとがんばっても、当然母の様に上手にできるはずなくて「見てられへん!かしてみい」ってほぼ母の手作りお弁当持って行きました。「おいしい!おいしい!」って喜ぶ彼の顔は、忘れられません…
結婚して、子供ができて「お母さんのご飯よりも給食の方がおいしい」って言われショックでした。
それから、おいしい味はわかるのだから、私にも作れるはず!って、本屋さんで初めて買ったのが『ずぼら料理研究家 奥園とし子』先生の本です!本は、ボロボロになって今でも、使って見返してます!
たまたま先生のu-tubeを見つけて、うれしくてすぐにお気に入り登録しました!
ずぼらでいいのよって言われて、母の様に上手じゃなきゃ一人前の母親になれない!って思いこみから開放されて、お料理を楽しめる様になれました。
コメント、ありがとうございます。
わたしの、真逆の悩みですね。
こういう話を伺うと、いいとか悪いとか、そういう風に割り切ってはいけないような気持ちになります。
生まれ育った環境で、自分がどう受け止めて、どうするかってことが
大事なのかもしれませんね。
いずれにしても、お料理を楽しめるようになれてよかったです。
これからもよろしくです。
奥薗先生が泣きながら、お母さまとのことを言葉にして、自分を鍛えて行ったというくだりに 涙しました。
先生は自分と向き合う作業に真正面から取り組まれてきたのだなあ、と感じました。
私自身も母との関係(料理ではないですが)に悩み 大学生の頃から カウンセリングに通うという形で言葉にしてきました。
母が他の親のように私にしてくれなかったことは、私が愛されていないからだと思っていた節があったのです。
現在は母は母のやり方で私に接していてくれたと感じるようになってきました。
先生のおかげで、私も気軽な気持ちで料理に取り組め、自分を大切にできていると感じられる毎日を送れています。
ありがとうございますい
母と娘の関係って、外からはわからないことがたくさんあって
でも、年を重ねていくうちに
それをありのまま、受け入れるしかないなという境地に至りますよね。
でも、打ちにため込まず、外に出す、言葉にするというのは
とても大事だと思います。私もそれがなかったら、もっときつかった気がします。
コメント、書いてくださって、ありがとうございました。
「人生レシピ①②③」図書館で読みました🗞お父さん科学者なんですね😲どんな事にも理由がありその理由を考える。奥薗流レシピが理に適っているのはお父さんの影響なんでしょうね。
そして料理をしなかったお母さんでも作れるよう作りたくなるようなレシピを考え、youtubeで分かりやすく作り方を配信する。おかげでボクのような不器用でも奥薗流レシピは簡単で作りやすく、時に遊び心があって作るのが楽しいです。ありがとうございます🙇♂️
時代も追い風になったと感じます。バブルの頃は高級で手のこんだオシャレな料理なんかがもてはやされていたのかも知れないけれど、現在まで続く「失われた30年」の不況下では、奥薗流の安く簡単に作れてヘルシーで美味しーという実用的なレシピの方が多くの人のニーズに合致して人気が出た。それにしても70万を越えるyoutubeのフォロワー数にはビックリクリクリクリックリだけれど😲
ボクは30歳くらいから、母親がどんどん高齢になるから料理くらいしたら?と兄に言われて、それまで包丁は手を切るから怖いと感じて料理なんかした事なかったのに料理を始めて、休みの土日に兄が教えてくれた奥薗姐さんの本や魚柄仁之助兄さんの本を読みながら料理を作っていましたが、5年くらい前に鬱が酷くて仕事を辞めた後は、2年くらい鬱で苦しみ何も出来ず、鬱をヌケた後は恐れていた事が本当に実現して母が高齢で家事が出来なくなり始めたので、ボクが食材買って3食作るようになるなど本格的に家事をするようになりました。
30の頃は母が高齢になって家事出来なくなったらどうしようと漠然とした不安を抱えていましたが、少しずつやってた料理と奥薗姐さんの日めくりレシピなどのフル活用で、今では料理や買い物が無茶苦茶楽しく出来ていて、ボクも母も元気に楽しく美味しく3度のご飯を食べる事が出来ていて、今は無職で母の遺族年金とボクの預貯金切り崩しで生活していますが、人生無茶苦茶充実しています😃奥薗姐さんには感謝してもし切れないです🙇♂️
ボクの預貯金が底をつき生活保護に移行する事になったとしても、3食作って、映画観て、ベイスターズを応援してという今の好きな事やりたい事をやれる充実した人生は続けられそうだという自信もついてきました。本当にありがとうございます🙇♂️
ヘビーでとりとめのない長い話になってしまって申し訳ないのですが、ボクも他の方のように奥薗流レシピで人生救われたという事を伝えたかったので。
それでは失礼致します🙇♂️足立区一のお調子者f@
新聞、見て下さってありがとうございます。
また、いろいろ書いてくださって、ありがとうございます。
年齢を重ねていくと、自分の周りにある肩書とか、目に見えるいろんなことをどんどんそぎ落として
自分が本当に大事にしている事や、自分がこうありたいと思うことを
あらためて考えるようになりますね。
っていういか、そういうことを考えることが、とっても大事だと私は思っていて
それを考えてこそ、人生の後半は充実したものになると思っています。
社会的な判断基準でもなく、誰かの目を通した基準でもなく
自分自身が考える基準で、自分らしく生きる事
そういう生き方で、人生の終わりを迎えられたら素晴らしいなと、私も思っています。