家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
今日はシモちゃんの講座5回目です。
全6回なので
もう限りなく終わりに近づいているのに
今だシモちゃんとは、心が通い合えませぬ
なんかね、言葉のニュアンスが捕らえ難い。
肯定的に使っているのか、否定的に使っているのか
それさえもようわからん…嗚呼‥‥。
さて、今回の講座は、
思考とは何か、表現とは何か?
という事を話し合うところから始まったんだけれど
そこからもう、わけわかんなくなりました。
ていうか
皆さんの話を聞いていて
私、なんか違うんじゃないかって気になったんです。
私は、思考って白紙にデッサンを書くようなイメージなんです。
全く何にもないところに
ラフな線を書いて、そこから、少しずつ細部を書き加えていくような
だから、考えている時(思考している時)って
全く言葉は介入しないんです。
完全に、言葉のない世界でイメージを作り上げるのが思考で
それを言葉に置き換える作業が表現なんだと思っていたのです。
ところが皆さんの話を聞いていると
まず最初に、知識のようなものがあって
頭の中で、そこから考えを深めていって
表現は言葉を超えたもので表現するのだそう。
なんか、私の頭がついていけない‥。
文章で表現することを想定するから
分からなくなるのかと思い
料理で考えてみる。
例えば、肉じゃがを作る時
普通は、
ざっくりとした肉じゃがのレシピというのが最初にあって
そこをベースにして
もう少し甘く、とか
汁だくがいいとか
牛肉を豚肉にしてみるとか
そういう風に考えるんですかね。
私は、そういう風には考えないんですよね。
最初にレシピからはスタートしない。
食べているシーンとか
料理しているシーンとか
買い物しているシーンとか
そういうところを、いろいろ想像して
肉じゃがのイメージを少しずつ固めていって
味のイメージを膨らませて
それを、具体的に作るためにはどうすればいいか
そこから、考えることが始まって
レシピに落とし込む。
だから、レシピを書いている時は
めちゃめちゃ言葉を使って考えてる。
つまり、料理を考えているのは言葉のないイメージの世界
レシピとして仕上げる時に初めて言語化する
って感じです。
って言うか
私、レシピ本を見て
その通りに作れないんですよね。
なぜか、途中で違う風になってしまう。
なんか、思考回路が、どこかで変になってるんだと思う。
だから、最初にレシピありきで考えることができないんです。
既存のレシピをベースにして考えることができないので
出来上がったレシピは
たいてい普通とは違う作り方になっている。
わざとやっているんじゃなくて
そうなっちゃうんです。
だから、文章を書く時も、
きっと普通とは違うプロセスをたどっているような気がする。
思考とは何か、表現とは何か
どんな風に思考し、表現へと行きつくのか
なんか、私、大丈夫かぁ?って思う。
不安になってくる。
この支離滅裂な文章を書いている自体
もう、私あかん気がする。
シモちゃん講座は、次回が最終回
ここへきて、大きく落ちこぼれいる‥。
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