家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
今日は、エッセイ教室です。
石垣りんの「朝のあかり」もしっかり読みこんで
準備万端で出席したのだけれど
今日は、
皆さんの書いたエッセイを読んで、一緒に学び
皆さんの質問に先生がこたえられる形で授業が進み
結局、石垣りんさんの本には触れられなかった。
残念!!
でも、皆さんの書かれたエッセイがどれも素晴らしく
20名以上の方が書いておられるエッセイを読むわけですから
これはもう、すごく勉強になります。
考えてみたら
私は子供の頃から本を読むのが大好きで
本ばっかり読んで暮らしてきたのですが
そのほとんどは小説とか、物語性のあるものばかりで(伝記とかフィクションとか)
エッセイというものをほとんど読んで来なかったという事に、
この教室に通うにようになってから気づきまして
でも、エッセイって
一体何を読んだらいいのか、正直分からなくて
この一年、けっこう迷走していたように思います。
本屋さんのエッセイコーナーに売られているエッセイを見ても
これって言う一冊を見つけるのが難しく
特に私の場合、男性の書くエッセイは、共感が難しく
また、ものすごく知的レベルの高い方の書いておられるエッセイも
置いてきぼり感がをぬぐえない。
でも、この教室で皆さんが書いておられるエッセイは
ものすごく、深く考えさせられるものばかりだし
いろいろ勉強になることもたくさんある。
何が、違うんだろう?
今日は、先生の講義を聞きながら、そんなことを考えていました。
思うに、
きちんとした本になったエッセイは、
文章も上手く、表現も素晴らしく、きちんとまとまっています
教室で読むエッセイは
いろんな人が、好きなことを好きなように書いているわけだから
そこまできれいにまとまっていないものもある。
けれど、そのまとまっていない事が決してマイナスではなく
そこにこそ、書いた人の本当の事が垣間見えているような感じがすることがあって
何か、心をつかまれたりするわけです。
よく先生が
上手く書く必要はありません
というようなことをおっしゃるんだけれど
その意味が、なんか分かる時があるの
上手い文章じゃないのかもしれないけれど
なんか、心に響く感じ。
そういう文章を書けるようになれたらいいなって思います。
そういう意味では
石垣りんさんのエッセイは、難しい表現や言葉は、まったく使われていなくて
でも、そこに人生が垣間見えた時
よくぞ、これ書いてくださったなあって思ったりします。
つまりは、文章の旨い下手は関係なく
素晴らしい表現なんて言うのも、関係なく
そこに、どれだけ
書いた人の本当の心というか魂というか
そういうものが入っているかってことなんですよね。
それにしても
一年前は、エッセイ教室に出席するたびに
メンタルをやられるほど落ち込んで
一週間くらいは立ち直れなかったのに
今は、普通に他の方のエッセイを読めるようになったという事は
私も、成長したという事ですかね。
来月の教室には
石垣りんさんのエッセイに触れて下さると信じて
日々学びです。
コメント
石垣りんさんの詩、ググって幾つか読みました。こういう場合、インターネットは便利だと思います。でも、やはり紙の本で読みたいです。
石垣りんさんの詩、検索して読んでくださってありがとうございます。
興味を持ってもらえてうれしいな。
でも、紙の本で読むって、やっぱりいいですよね。最近、そういうことをものすごく思います。