家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
今日はエッセイ教室です。
今日もたくさんの濃い話があったのですが
一番心に残ったのは
書く姿勢という事でした。
書くというと、ついつい何を書くか、どう書くか
という事ばかりが気になるけれど
一番大事なのは、
自分にしか書けないことを書こうとする姿勢
これすごくわかるんです。
料理のことを考えるとすごくわかり易い。
料理って、
一般的にはレシピのことだと思われています。
どんな材料を、どんな風に料理して、どんな味つけで
調味料の配合はこうで
みたいな感じ。
確かにそれはそうなんだけど
でも、そうなると、
ほとんどのレシピが、ほぼ同じ感じに似てくるんですよね。
どこかで発表されたレシピが人気になったら
それとよく似たレシピが
雨後の筍みたいにわ―っとあふれ出すみたいな。
ネットがなかった時代は
本やテレビの料理番組でしか料理の作り方を知ることができなかったから
あちこちでレシピが紹介されるという事は
すごく必要だったと思うんだけれど
今はもう、ネットですぐに検索できるから
一昔前とは、まったく状況が違うのです。
今や過剰を超える過剰です。
私が、レシピ本を最近作らなくなったのは
まさに、そこ。
私は、単なる作り方だけを伝えることに
満足できなくなってしまったのです。
レシピの周りにある何か
それは、料理の楽しさとか
料理に対する考え方とか
日々の暮らしの中で、作りたくなるような工夫とか
たんに材料と調味料の割合だけとは違う何かを
一生懸命伝えようとしています。
書くこともそれと同じで
私が、本当に感じたこと、思った事
私にしか書けない、本当のことを
淡々と書きたい。
すごい文章を書きたいとは思っていません。
白いご飯とお味噌汁みたいに
普通の文章を、普通に私らしく書きたい
それだけなのです。
でも、読むと書くの教室に行くと
時に、どんどん自信を無くしてしまうのは
たぶん、上手く書こうとしているからなんだろうな
まさに、書く姿勢がなっていないのです。
自分に自信がない時は、何かにとらわれているという事で
自信があるというのは、自由だという事らしい。
今のわたしは
自信がなく
その自信のなさを埋め合わせるために、どんどん読まずにはおれない
けれど
読めば読むほど、自分に足りていない所に気づき
どんどん自信を無くして、不自由になっていく
そんな感じです。
料理だったら
これが私の料理だから、これを好きじゃないって言う人がいても
それはそれでしょうがない
って、開き直れるのに
文章だと
なかなか、そんな風に開き直れない
これが私の文章だから、これで良し!とか
これが私の詩だから、これで良し!とか
って、おもえるようになれたらいいけど
未熟過ぎて、その境地からは全然遠いです。
今日もまた自信喪失して帰ってきました。
自信を喪失するほどの、文章なんて、全然かけていないのに
何やってるんだろ。
そう思って、ますます自信喪失する私です。
コメント
こんにちは 久しぶりにコメントさせてもらいます。私は、いまだに、先生のレシピ本 時々開いては、料理してます。調味料の量や作り方が簡単明快で気に入ってます。YouTubeも見て作りますが、調味料の所で一旦停止が上手くいかなかったり、先に進まれてあたふたしたり 巻き戻したり、てんてこまいな時 あります。
よこの繋がりがないとか、本では表現しきれないものを、と先生は言われますが、こういう
デジタルに疎い人にも世の中にいると思ってもらえると、有難いです。
コメント、ありがとうございます。
レシピ本もみて下さって、感謝です。
ご意見、有りがたく拝読いたしました。
一応、Youtubeの概要欄に材料をのせているのと
このHPの日めくりレシピで、レシピと作り方を見て頂ければと思っています。
それだと、動画を巻き戻したりする手間もいりません。
少しでも、お役に立てればうれしいです。
これからもよろしくです。