でいりいおくじょのBLOG

2024.11.04

神秘哲学の講座 第32回

今日は神秘哲学。

 

引き続きプロティノスで

相変わらず、プロティノス、誰やねん?状態です。

 

今日も、いろいろ濃い話がたくさんありましたが

(どれだけ理解できたかは、心もとない‥)

 

その中で一番心に残ったのは

絶対肯定という事でした。

 

こんなことを書くとなんなのですが

私、けっこう、自信を無くしやすいタイプでして

 

この講座の課題の文章を書いても

ああ、なんか思ったように書けないなあと自信を無くし

 

ああ、なんか理解できないなあと自信を無くし

 

ああ、努力しても、一向に成長がないなあと自信を無くし

 

日々の暮らしの中で

自信を無くすことが結構多く

最終的には、何やってるんだろう?私・・。

 

ってなったりするのですが

 

先生が言うには

 

自分のことを、ああ、ダメだなあと思っているのは

何かを試みているからであって

試みていないところに、自己否定もないわけで

 

大事なのは、

ああ、ダメだなあって思ったところで辞めてしまわない事だと

 

試みて、上手くいかなかったところで辞めるんじゃなくて

そこで踏ん張って、踏みとどまって、頑張ってみることが大事で

そこで辞めるってことは、本当に中途半端だと

 

これが私なのだと思えるまで

踏ん張って、踏ん張って頑張ってみれば

絶対肯定の域に行けるのだと。

 

なるほどね~~~。

これは、なんかちょっと分かる気がしたのよね。

 

例えば、料理で考えると

ああ、これじゃあだめだなあって思う事は、これまで数えきれないほどあって

でも、料理=生きる事なので

あきらめるわけにはいかず

ただただ夢中でやってきたのです。

 

たくさん失敗したし

本当に、絶望的に落ち込むこともたくさんあったけれど

結果的に見ると、なんとかなりました。

 

失敗したり、絶望したり、嫌になったり

それでも踏ん張って、なんとかなって、ホッとして

 

考えてみたら、

ずーっとそんなことを繰り返してきたように思います。

 

でも、その繰り返しのおかげで

今、たとえうまくいかない事があっても(そんなことはしょっちゅう)

絶対なんとかなる

って、心のどこかで思えるようになるんですよね。

 

だから、上手くいかなくて泣きそうになっていても

心の中では、絶対自分はできるって信じられるの、不思議だけど

 

これが、絶対肯定なんだと気付いたのでした。

最終的なところで、自分を信じているのよ、私。

 

そうか。

書くとか、読むとかということで

ああ、だめかもしれないと思うのは

まだ、ここの領域に行けていないってことなんだな

 

ダメだと思っても、

それは、まだまだ、道半ばってことだから

やり続けるしかないってことなんだ。

 

そうかそうか

 

そういえば

ちょっと前、小林秀雄を読んでいたら

こんなことが書いてあって、なるほどね~~って思ったことがありました。

 

頭のいい人が、人生をかけて書いた文章を読んで

すぐにわかるはずがないではないか

分からなかったら、何度も読め

それも、真摯に、何度も丁寧に読め

 

なるほどね~~って思った

 

それ以来、

同じ本を、同じ文章を

何度も何度も読むようになったの

 

つまり、こういう事が、絶対肯定につながる道なんだと思う。

 

書く方でも、きっと同じで

描ける人は、繰り返し繰り返し

自分を信じられるところまで、それをやった来たってことなんだよね。

 

書くこと、読むこと

今、それを、やりたいと思っている私がいる

ならば、やり続けるしかない。

 

その先にしか

絶対肯定はない。

 

2024年11月3日神秘哲学

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