家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
「悲しみの秘義」(若松英輔著 文春文庫)を
読み返したのは
今度のエッセイ教室のテキストがこれだから。
でも、改めて読んでみると
いろいろ思い出すことがあったり
新しく感じることがあったり
本というのは、読むたびに新しい出会いなのだと思います。
この本を最初に読んだのは
もうずいぶん前で
おそらく、100分de名著を見て
本を買ってみたんだと思うんです。
それから、めちゃハマって
先生のほかの本も
次から次へと、どんどん読んだ記憶があります。
けれど、正直に白状すると
一時、めちゃ大嫌いになったんですよ。
その当時、先生にとって「かなしみ」というのが大きな問題で
どの本を読んでも、
結局は悲しみというテーマになる。
(という風に、私には思えた)
悲しいのはわかるけれど
それが、だんだん重くなってきて
それがだんだん嫌になって
いい加減にしてくれって思うようになって
なぜか、めちゃ腹が立ってきて
実は(大きな声では言えないんだけれど)
その時持っていた若松先生の本を
全部処分したんです。
それほど、大嫌いになったのです。
すいません。
ところが
それから、しばらくして
なぜかわからないんだけれど
気が付いたら再び、先生の本を読んでたのよね。
なんでかわからん。
手放した本を
一冊一冊買い直して、読み直してみると
不思議なことに
あの時、読んだはずの言葉がどこにもない。
いい加減にしてくれ!って思うほど
悲しいってことが描かれていたように思っていなのに
全然、そんな風には書かれていない。
結局、書かれてもいない言葉を、
勝手に自分で読んでいたようなのです。
つまり、悲しい、悲しいって思っていやになっていたのは、
私自身だったのだと思います。
たぶん、いろんなものに出会い直したんだと思う。
それからは、いろいろ読みました
新刊もチェックして、まるで追っかけみたいに。
そうして、気が付いたら
読むと書くの教室にも通うようになって
こう書くと、やっぱりなんか不思議です。
で、「悲しみの秘義」
今度の日曜日から始まるエッセイの新タームのテキストがこれって知った時
なんとも言えない、不思議な気持ちになりました。
今のわたしが、これを読んだら
どんな風に読めるんだろう?
これまで何度も読んでいるから、
別に、新しい発見とはないと思っているのに
なぜかドキドキしました。
で
実際読んでみると
やっぱり、まったく新しい本として
この本が私の前に立ち現れました。
本って、本当に不思議だなあって思う。
長くなったので
この続きはまた明日。
コメント