でいりいおくじょのBLOG

2014.02.20

読書日記 鰹節商の苦悩と挑戦を通して、鰹節の歴史と文化を知る一冊

 

『商人(あきんど)」 (ねじめ正一著 集英社)

 
 
 

日本橋にあるかつお節の老舗の実話に基づく話です。
 

かつおや昆布といった”だし”食材は
 

料理人だけではなく料理研究家にとっては興味が尽きないテーマ。
 
 
 

私は以前鹿児島の枕崎に行って
 

実際にかつお節を作る現場を見せてもらい
 

実際にかつお節作りも体験させていただいた経験もあるので
 

この本は一目見た時から、読まずにはおれない魅力的な本でした。
 
 
 
 

作者のねじめ正一氏は「高円寺純情商店街」で直木賞をとられた作家。
 

読んだことのある方ならご存知のとおり

「高円寺純情商店街」に出てくる「江州屋乾物店」の一人息子正一少年がねじめ氏です。
 

「江州屋乾物店」は削りかつおといえば江州屋と言われるほどの評判の乾物屋

そこの一人息子なわけですから鰹節にかける愛情と思い入れは人並み以上。

そんな方の書かれた、老舗鰹節店の物語ですから

これはもう、面白くないわけがない。
 

舞台は江戸末期

日本橋の鰹節商伊勢屋

初代が露天で干し魚やかつお節を売ってお金を貯めて看板を揚げたお店。
 

鰹節商としての商売の波や難しさ、時代の流れ

店を守り受け継いでいく歴史と苦悩

なんのために商売を大きくするのかという疑問

そんな商人の生きざまを描いた作品です。
 

けれど、商人と目線ではなく

鰹節をめぐる江戸の食文化の変遷という目線でこの物語を読んでみると

また違った面白さが現れます。
 

この時代

江戸の鰹節問屋はほとんどを大阪から仕入れていて、

浜に行って自由に買い付けたり、

釣り上げた魚を自分で加工することは許されていません。
 

要するに鰹節は大阪が独占しているので

鰹節の値もいい鰹節を何処に売るかも、大阪の主導で決めれていて

江戸の鰹節問屋は大阪の顔色をうかがってしか、商いができないというのが現状。

(このへんは、司馬遼太郎の「菜の花の沖」にも詳しく書かれていますね)
 

そもそも、この頃の鰹節というのは、ちょっとした贅沢品で

普通の庶民の間でも

ようやくだしを使う習慣が広がっていきつつある時代で

鰹節といえば、お城や大名屋敷や有力武家の台所で使われるようなものだったんですね。

だから、当然鰹節商もそういうところに鰹節を卸させてもらえるかが

商売をやる上でものすごく大事になるのです。
 

ところが、長屋住まいをしているような庶民の間でも

鰹節人気は徐々に高まってきて

そうなると、大名や武家屋敷に下ろすような高い鰹節ではない

安い鰹節の需要も高まってきます。
 

一方、この頃江戸では味の軽い醤油が好まれ始めます。

つまり、醤油の発祥の地の熊野の衆は体を使うので、味の濃い醤油を好むけれど

江戸の町衆は、熊野の衆より体を使わないので

添えほど塩分はいらず、むしろ旨味の強い醤油を好むようになるのです。
 

更に、この頃は、屋台のうどん屋も増えてきて

お江戸といえば蕎麦文化だとおもいがちですが

屋台のうどん屋が増えてくると、使う鰹節もそばとは違うものが好まれるようになります。

つまり、スッキリした品のいいだしではなく

こってりした濃い出しがうどんには合うんですね。
 

鰹は、鹿児島から土佐、紀伊半島、焼津というふうに北上してきます。

鹿児島、土佐、紀伊半島辺りまでは、まだそれほど太っていないので

鰹節にするには雑味がなく上等のものが作れるんですが

それ以上北に来てしまうと脂が乗りすぎて、

こんどは鰹節にはむかなくなる。

むかないというのは、つまりその時代、

脂の乗りすぎた鰹でいい鰹節を作る技術が確立されていなかったということです。
 

そこで、この物語の伊勢屋をついた主人公伊之助が

カビ付けや燻煙の仕方、回数を工夫して

その油の乗った鰹節でも美味しだしが出る鰹節にしていくわけです。
 

更に、その当時鰹節といえば

1本単位で買うのが普通でしたが庶民にはかなり高価なものでした。
 

でも、おいしい鰹だしを味わってみたいという気持ちは

長屋ぐらしの庶民にだってあるわけで。

そこで、一回分ずつ削ったものを販売するアイデアを思いつきます。

それなら、どんな人も鰹だしを楽しむことができる。
 

そういう試行錯誤の中で

主人公の伊之助は

商売というのは先代のやってきたことを守り

先代の失ったものを取り戻すことではなく

それはそれとして眺めながら、

新しい芽を探して見つけて、大きく育てることだと気づいていきます。
 

ただ、お金持ちのお屋敷に鰹節を卸しているだけではなく

だれでもが気軽に鰹節のだしを楽しめるように

そういう工夫をして、鰹節の可能性を広げていくことこそが

商売の醍醐味だと。
 

和食がユネスコの無形文化遺産に認定されて

だし文化が見直されていますね。
 

鰹節を削って、削りたてを使ったりご飯にかけたり

それはそれで素晴らしいかもしれないけれど

だし文化も、日々新しい可能性を広げていくべきだと私は思っていて

だしパックや削り節でも、

日々、だしの味に親しむこと

味噌汁や煮物が食卓にのること

そういうものをああおいしいなと思う気持ちは持ち続けられる。
 

その時代時代にあったやり方で

鰹節文化を途切れさせないことも

伝統の和食を守っていくことと同じくらい大事なことなんじゃないか
 

特にだし文化は

高級割烹や和食料理店だけのものではなく

普通の人の普通の暮らしの中の

食生活の中で、当たり前に存在しているものであるべきだと思っています。
 

そのために、当たり前に出しを使える方法を考え伝えていくこともまた

家庭料理研究家としては大事な役割なんじゃないかと

あらためて思った一冊でした。
 
 

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