家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
『暖簾』 (山崎豊子著 新潮社)
東京の鰹節屋さんと乾物屋さんの話が続いたので
今日は、大阪の昆布屋さんの話です。
作者の山崎豊子氏は
華麗なる一族、沈まぬ太陽、白い巨塔、不毛地帯など
映像でも有名な作品の作者。
去年亡くなられましたが、この作品は処女作です。
初期の頃は、大阪人を扱ったものをずっと書いておられましたが
処女作でこれほど完成度の高い作品を書かれたなんて
あらためて読みなおしてみて、その凄さに脱帽しました。
あとがきに山崎豊子氏自身が書いておられるように
理想の大阪商人の姿を描いた作品です。
明治、大正、昭和の激しい時の流れと闘いながら
商人として矜持を守りぬいた昆布屋の父子2代の物語なのです。
昆布屋の丁稚として働き始めた吾平
精進を重ねて本家浪花屋から暖簾を譲り受け
その暖簾を守るために、商人として矜持を守り通しますが
日露戦争、第一次世界大戦、関東大震災、第二次世界大戦
という時代の波はどうすることもできず
とうとう店もお金も全部失ってしまいます。
やがて、戦地から息子の孝平が帰ってきて
もう一度一から、浪花屋を立て直そうとするのですが
闇の商売や、汚いやり方での金儲けは、商人の矜持が許さない。
暖簾は大事や、今に暖簾の力がわかる時が来る
と、あくまでのれんをまもりぬこうとする父親に対し
暖簾なんか無くても、ちゃんと大きな商売をやっている人はいる
暖簾信仰にとりつかれていたら何もできない
と主張する息子、孝平。
やがて、父親がなくなり、息子一人で商売をすることになった時
いよいよ、商人として覚悟と矜持が試される時が来る。
父親にとって暖簾は、商人の心の拠り所であり
武士にとって、氏や、素性のようなもの。
暖簾によって世間の信用も得られたし、
その信用を裏切らないように自分を制するお守りでもあった。
けれど、戦争や震災によって価値観は大きく変わった。
息子にとって暖簾は、それによって信用を得たり、心の拠り所ににするようなものではなく
むしろ、それを活用する人間の力によって、
その価値はどんどん変わっていくものになった。
安易に暖簾にしがみついているだけでは、未来に希望はない。
暖簾の信用と重みを自分の力で大きくして
人の出来ない苦労をコツコツと乗り越えていける人だけが
暖簾の力をいかすことができる。
これは多分、商売をしている人だけの話ではなくて
たとえば料理研究家であっても同じこと。
たまたま本が売れたり、テレビに出させていただいたりして
ぱっと一時脚光を浴びたとしても
結局は、その注目してもらったことをどれだけ自分の力に変え
それから以降、どれだけコツコツと努力していけるか
その苦労を乗り越えられなければ、それだけで終わってしまうことにはかわりありません。
昔は名の通った老舗であっても、生き残れないのと同じように
いっときの光に寄りかかっているだけでは少しも前にはすすめません。
お前は形だけの暖簾を後生大事にして、それを当てにして
本当にやるべきこと、やらなくてはいけない努力を怠ってはいないか
お前が守るべき暖簾は一体何なのか
そんな声が行間から聞こえてきます。
それにしても
暖簾に象徴される大阪商人の凄さもさることながら
大阪人の愛した塩昆布を煮るシーンの描写が素晴らしい!!
ドロリとしてこい醤油の香りと
とろりと柔らかく煮上がった昆布のつややかな肌の感じ
そして、口に入れた時に広がる昆布の旨味
文字を読むだけで塩昆布の香りと旨味が口の中に広がります。
ああ、白いご飯が食べたい!!
昔から大阪の昆布に東京の海苔と言われていて
東京では佃煮といえば、海老や貝などを甘辛く煮たものが主流ですが
関西人は、ご飯のお供といえば塩昆布です
塩昆布を愛する気持ちは、多分他の地方の人よりずっと濃いと思います。
大阪の朝ごはんには塩昆布は欠かせない、という文章が出てきますが
京都人の食卓にも、塩昆布は欠かせないものでした。
私の感覚では
ちょっと上等の塩昆布は、庶民のチョットした贅沢品で
ご飯の最後の一口を、塩昆布でお茶漬けにする幸福感!!
大阪の熱い昆布屋の物語を読んで
昆布のおにぎりや昆布のお茶漬けを食べてみる
いつもよりも、うんと美味しくなること間違いありません。
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