家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
「鏡をみてはいけません」(田辺聖子著 集英社文庫)
田辺聖子さんは、私が最も尊敬する作家の一人です。
書かれる文章のテンポの良さや面白さ
古典における教養の深さなどは
いまさら私なんかが言うまでもありません。
中でも私が最もすごいと思うのは食べ物の描写。
田辺さんの手にかかると、普通の炊き込みご飯も味噌汁も卵焼きも湯豆腐も
たちまちホカホカと湯気を立て、香りや温度や味や食感や
その場の空気感まで伝わってきます。
しかも、その料理が全て関西風。
関西の料理をこんなに美味しそうにかけるという意味でも
田辺聖子さんは神だと思います。
読めば必ず料理が食べたくなるし、作りたくなってしまう。すごい!!
この小説も、美味しそうな料理と共に
心がじんわりあたたまる物語です。
ストーリーはこう。
子持ちバツイチの小林律はご飯のような男。
つまり、商い、クセのない、ほんわかした人
ご飯好きの中川野百合は彼と付き合い
ひょんな成り行きから結婚もしていないのに彼の家へ入り込み
息子の宵太と、律の妹の頼子と一緒に暮らすことになります。
おいしい朝ごはんを食べたい、
おいしい朝ごはんを食べないと仕事なんかやってられるかい
そう思っている律と
律と息子の宵太に美味しいご飯を食べさせたいと思う野百合。
最初は好意的だった妹の頼子は
途中から、野百合を追い出しにかかり始め
そこに離婚した元妻の橘子や
訳の分からない親戚のおばさんなんかが現れて口出しし
元妻の橘子が律とよりを戻して家に帰りたがっているだの
息子を引き取りたいといっているだの
挙句の果てに、律の昔の恋人まで現れて
物語は、どたばたホームドラマの様相を呈してきます。
最初は、食べることに無関心だった妹の頼子や
親戚のおばさんたちが
やがて野百合の作る料理に手を付け始め
気が付いたら、当たり前に食卓を囲んで同じ釜の飯を食べることに。
そうなると、あれだけごちゃごちゃしてバラバラだった人間関係が
なんかわけのわからないまま、まあるく治まり始めるのです。
つまりは、”かやくごはん”や”うどんすき”のように
寄せ集めみたいなもんでも、一つ鍋に一緒に入ればうまく調和がとれている
てんでバラバラの食材でも
一緒にクタクタ煮しめれば美味しくなるように
血のつながりがあってもなくても
そうやってつながっていけば家族になれるんじゃないか。
人間は、その人の生きてきた過去があることで
それが良いだしになって、いい味が出る。
どうでもいいことは棚に上げて
歩くスピードでゆっくり暮らしていこう。
そのうち、良いだしが出て、いい味がでて
人間としても力もつくというもの。
それにしても、出てくる料理出てくる料理がどれも全部美味しそうで
中でも蛤や鶏やエビを煮た出汁にたっぷりの下仁田ネギを加えたうどんすきは圧巻です
美味しい甘味をタップリと含んでとろりと煮えた下仁田ネギ
そして、美味しい出汁が絡んだ太めのうどん
ああ、もうたまりません。
くわえて
おいしい朝ごはんを食べないと仕事なんかやってられるかい
という律のために作る朝ごはんが、もうどれも美味しそうで美味しそうで
炊きたての白ご飯に昆布の炊いたん、卵焼き、きんぴらごぼう、味噌汁、煮魚、湯豆腐
卵焼きは関西風で甘くせず
だしだけでふんわり焼くというのもグッとくるし
葱やニラを入れる時は、だしもくわえず玉子に醤油を少し垂らすだけで焼き上げる
うん、これこれ、これぞ関西の卵焼き!!
また、昆布の山椒煮をコトコト一日かけて煮るシーンもめちゃすごい。
読んでいるだけで醤油の匂いがプンプン漂ってきます。
一日かけてコトコトと煮しめて煮しめて
もうしまいに、人間はなんのために生きているのかと哲学を強いられるようになる頃
やっと照りよく煮上がる。
毎日料理して食べて片付けて
料理して食べて片付けて
人は一体なんのために料理して食べるのか
私も時々、ふっとそんな風に哲学を強いられることってある、ある・・。
でも、そうやって毎日料理して食べて片付けてを繰り返しているうちに
そういう難しいことはどうでもよくなって
美味しいものを食べて元気に暮らしていることでええやないの
という気持ちになってくる。
料理するって、奥深いわ~とあらためて思うわけです。
毎日毎日、仕事で頑張り、家事で頑張り
いろんなことで頑張って、がんばって
でも、時にふとなんのために生きてるんやろうとか
幸せってなんやろうとか
哲学的なことが頭によぎったら
是非手にとってもらいたい一冊。
自分にとって、いい着地点を見つけるヒントがあるかもです。
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