家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
先週末、出張で福岡に行ってきました。
その移動中に何を読むかと考えた時
やはりここは福岡出身に作家さんだなと思って
選んだのが村田喜代子さん
村田喜代子さんの作品は
芥川賞受賞作品の「鍋の中」も、強烈な世界観で
これも大好きな作品なんだけれど
今回は、「あなたと共に逝きましょう」を再読してみました。
物語の主人公は30数年連れ添った共働きの夫婦です。
お互いにいい意味で自立して、いい距離感の中で暮らしていて
一緒に温泉旅行に行っても、
すぐに喧嘩をして4日は口をきかず2日だけはかろうじて会話をして帰ってくるような
何処にでもいるような、ごくごく普通の夫婦。
ある日、夫の体に6センチもの動脈瘤が見つかります。
5センチを超える瘤は、いつ破裂してもおかしくないという。
突然現れたこの異物。
この本は、この静脈瘤によって変化していく夫婦の関係や距離感や人間性や力関係
それをシリアスではなく、むしろコミカルに書いたお話です。
夫はたばこをやめ、肉をやめ、玄米を食べ
ひと口100回以上噛んで食べることを自分に課し
更に朝夕ガムを噛んで、噛む動作を強化します。
妻は夫のためにせっせと玄米を炊き
納豆に梅干と刻んだねぎをのせてやり
片付かないから早く食べてほしいと口にしたいが口にせず
100回噛んでゆっくり食べる夫を見守ります。
夫は10キロやせ
怒って血圧が上昇することが最も危険なことと知り
心穏やかな過ごしていくうちに、怒りっぽかった性格が穏やかに変化。
二人で湯治に出かけ
それまでは旅行しても喧嘩していた夫婦が
静脈瘤という共通の敵をやっつけるために
徐々に同士のように変化していくのです。
中でも最大の読みどころは鯉こくを煮るシーン
動脈瘤を切る手術をすることになった夫は
手術までに定期的に自分の血を抜いて、手術の輸血用の血を蓄えるのですが
(自分の血を輸血したほうが、体に優しいし、余った血は手術後戻すことができるのだそう)
お医者さんからも、しっかり食べて血を増やしておくようにと言われ
真面目な二人は、血を増やす食べ物は何かと食養生の電話相談サービスに問いあわせ、
返ってきた答えが
鯉こく。
鯉は造血効果に優れ
重度の貧血症や手術前の病人の体力増強には卓効がある究極の滋養強壮食なのだそう。
さっそく作り方を教えてもらった妻
しかしそれは、普通の煮魚を作るような簡単なことではなく
骨や目玉も鱗も、一匹丸ごと十時間煮るという大層なもの。
早速、川魚専門店で手に入れた鯉は
頭も目玉も内蔵も鱗も全部入った切り身。
全体に張り付いた鱗がまるで目玉のように見え
触るだけで身の毛がよだつような代物。
大鍋にごま油をいれてごぼうを炒めたところに
水とそれをいれ
内蔵も目玉も頭も鱗も一緒くたにグルグルとかき混ぜる。
完全に腰が引けてるのに
それでも夫のために鯉こくを作る妻。
臭みを取るために茶殻の中で3時間煮た鯉
部屋中に充満する鯉の匂い。
更に6時間煮続ければ小骨も食べられるようになり
7時間経てば大骨も柔らかくなり
10時間経てば頭の骨もほろりと煮崩れる。
最後に味噌をたっぷりいれて煮溶かしてかき混ぜると
味噌が鍋の中でふつふつとふき始めたら、これで鯉こくの完成。
出来上がった鯉こくの泥色の池面には、
ごぼうの煮とけたものや、鯉の大頭の崩れたのや、目玉や骨やしっぽの残骸が浮かんでいる。
きゃーっ、怖いー!!!怖すぎる!!!
部屋に充満する鯉の匂いとか、どろりとした液体の質感とか
読むほどにページから漂ってきて
下手なホラー小説読むよりも、恐ろしい。
料理の描写を読んで、こんなにぞくぞくしてくる本はそうないと思います。
村田喜代子さんの『鍋の中』のおばあちゃんの味噌汁の描写の中で
ナスと油揚げと菜っ葉の入った味噌汁をグルグルとかき混ぜる場面で
そのかき回している味噌汁の黄土色の水面の中に
わけのわからないものがプカプカ浮かんだり沈んだりしている不気味なシーンを思い出します。
この何とも言えないゾクゾクする食べ物描写は
まさに村田ワールド!!
おそらく30年来の暮らしを思い出すと
こんなふうに分けのわからないものが渾然一体となっていて
楽しかったとか苦しかったとか、おいしいとかまずいとか
そういうものを全て超越したものになっていくんだろうなあと思います。
その全てを超越したドロリとした不気味な鯉こくを
最後の一滴まで綺麗に食べて
夫は手術に挑むわけです。
動脈瘤という敵と、力を合わせて戦うことで
夫婦の中に、今までとは違う絆ができた夫婦。
けれど手術でそれが取り去られ
動脈瘤という夫婦共通の敵がいなくなった後の顛末は・・・?
取り除かれた動脈瘤
そこにあったはずのものがなくなった空洞。
その空洞は
動脈瘤を切り取られた夫のほうではなく
一緒に戦った妻の心のなかにのこり、
そしてそれは読者の私の中にも確実に残ります。
なんだかちょっと体の重石がなくなったような心もとない感じ
物語は、この意外な結末によって
読み終わった後も、けして一件落着とはならず
この後の続きがずーっと気になり続ける本です。
病気をテーマにしていながら
全体に軽妙なタッチで書かれているため全く深刻さはなく
病気によって微妙に変化する心情や関係を考えさせられる話。
病気に興味のない方も、読んで見る価値ありです。
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