家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
明日、大阪で仕事があるので
また、いつものように今日のうちから京都に入り、
京都検定1級の友人と一緒に京都めぐりです。
今日は伏見です。
伏見といえば、もともと伏水と言われていたほど
名水で知られた土地で
黄桜や月桂冠など酒蔵の町として有名です。
後、坂本龍馬で有名な寺田屋があるのもここ。
寺田屋で竜馬が襲われて、屋根伝いに逃げて身を潜めた材木置き場とか
そこから船で逃げ込んだ薩摩藩邸とか、実際に歩いてみると
ああこういう距離感なのねというがわかって、すごく面白い。
でも、今回のメインは“鳥羽・伏見の戦い”!!!
鳥羽・伏見の戦いというのは
日本の2大天下分け目の戦いの1つで(もう一つは関ケ原)
旧幕府軍の敗北を決定づけ
明治維新へとつながっていく重要な戦いなのですが
歴史の教科書では簡単な説明ですまされてしまっているものなんです。
徳川慶喜率いる旧幕府軍と、薩長連合の新政府軍が
京都の入口である鳥羽街道と伏見街道でぶつかり
その戦の途中で新政府軍が錦の御旗を掲げ
朝敵になることを恐れた徳川慶喜が、家来を見捨てて船で江戸に帰ってしまうシーンは
歴史の教科書でも、ドラマでも、おなじみです。
でも、本当は、いろいろドラマがあって
知れば知るほど鳥羽伏見の戦いは、興味が尽きません。
今回、近鉄の桃山御陵前駅からスタートしたのですが
駅を背にして立つと、左手に薩摩藩の屯所である御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)
右手前方に、旧幕府軍の屯所である伏見奉行所跡
が見えます。
地図を見て、この位置関係はわかっていたのですが
この駅に降り立って、この二つの位置を見てみると
ああ、これは旧幕府軍が負けるわ、とすぐに思いましたね。
う~ん・・・。
というのも、地図だけではわからなかったんだけど
ここって、すごい高低差があるんですよ。
御香宮神社は高台にあって、ずーっと下の方に伏見奉行所
山を背にして陣地を作るって、戦の初歩中の初歩なのに
なんで旧幕府軍は、低いところを陣地にした?
高いところから低いところに攻め降りるのと
低いところから高いところに攻め上がるのと
高いところからがーっておりて攻めるほうが強いに決まってます。
こんなこと、戦をやる人だったら当たり前のことなのに
旧幕府軍は、戦をする気がなかったってことなんですかね。
しかも御香宮神社の後方は小高い丘になっていて、そこに上がれば伏見奉行所は丸見え
実際、薩摩軍は大砲を後方の丘の上に運んで、伏見奉行所めがけて打ち
旧幕府軍の火薬倉庫に命中して、伏見奉行所は壊滅状態になるんです。
土地の高低差、大事です。
土地の高低差といえば、ブラタモリ!
タモリさんはぜったい、ここ好きなやわと思ったら
すでに2015年に、取り上げられておりました。
やっぱりね、高低さ好きな人にはたまらん土地です、伏見。
余談でした。
で、結局、旧幕府軍は
鳥羽街道と、伏見街道と、二か所から京都に入ろうとして
阻止されて旧幕府軍は敗れるのですが
実は、京都に入る道は、この二つだけではないんですよ。
だから、ここの道を封鎖されて、通れなかったのなら
別のルートで京都に入ることもできたはずなのに
ますますもって、残念な旧幕府軍。
いや、そのほか、戦略のまずさはここかしこ。
歴史は勝者からではなく敗者から学べと言われますが
時代を読まず、世の中の動きを知ろうとせず
過去の栄光や権力の上に胡坐をかいてしまうことの危うさを、改めて思いました。
それにしても、伏見は半日では回り切れず
何度も繰り返し、行きたい場所になりました。
コメント
先生、おはようございます。
楽しそうですね~?。
読んでいるだけで、なんだかそこの風景が浮かんできて、ワクワクしました。
でもやっぱり、本で読んだり地図で見ているだけと、現地に赴いてみるのとでは格段の差があるのですね。
高低さかぁ、面白い‼️。
旧幕府軍には、何か秘策があったのですかね?。
きっと、昨日の先生は伏見の地で目をキラキラ輝かせながら、散策されていたんだなぁと思いながらブログわー読みました❗。
先生、今日も一日健やかにq(^-^q)。
歴史って、学生の時は全然好きじゃなかったのに、自分でこんな風に調べたり、実際歩いてみたりするようになると、とっても楽しいです。