でいりいおくじょのBLOG

2016.07.17

読書日記「阿蘭陀西鶴」&あじそうめん

朝井まかてさんにすっかりはまっていまして

今回の作品は、「好色一代男」で有名な井原西鶴です。
 
 

「阿蘭陀西鶴」(朝井まかて著 講談社)
 

西鶴を今風に言えば、ブロガーとかyoutuberのはしりって感じでしょうか。

その時々で身近に起こった出来事、人がうわさ話の種にしがちな話題など

その時々のタイムリーなネタを短期間で書いて書いて書きまくる。
 

あまり深く考えることもなく

人たらしの才能を武器に、世の中に自分の名前を売り込んでいく

確かに歴史の教科書にはその名が登場するし

「好色一代男」をはじめとして、数々のベストセラー本を書いたことでは有名だけれど

なんか、ちょっと軽い感じというイメージ。
 

ところが、読み進むうちに、いつの間にか知らぬ間に、そのイメージが見事に覆され

最終的には、西鶴の魅力に心を奪われてしまう。

これぞ、朝井マジック。

いやあ、今回もやられました。
 

キーパーソンが、何人かいるのですが

その中で、最初に挙げられるのが、全盲の娘あおい。
 

最初は、軽薄な父親に心の中で反抗しているのだけれど

実は、心に壁を作って、見るべきことに心の目をつぶっていることに気付く。

目は見えていなくても、心の目を開けていれば本当のことは見える。
 

やがて、あおいの心の目が少しずつ開眼されるにつれ

西鶴の生き様や仕事への思いが好意的に変化していき、

読者が感じる西鶴もどんどん魅力的な人物へと変わっていきます。
 

盲目で、外の社会とのつながりがほとんどないあおいを通して西鶴と、西鶴を取り巻く人間模様を描くことで

顔立ちや服装といった外見に惑わされず、その人自身の本汁があぶりだされるのです。
 

もう一人のキーパーソンは、芭蕉。
 

俗世を離れ、自分や自然と向き合い言葉を吟味し、31文字を吟味しつくして作り上げるその作風は

思いつくまま量産する西鶴の対極にある存在です。
 

芭蕉と西鶴を対比させることで

最初は、芭蕉のような生き方や作品の方が、

いわゆる格が上の芸術であるように思わせ

西鶴のやり方や作品は、話題になっても芸術といえるのだろうかと思ってしまう
 

けれど、読み進むうちに、いや待て、そうじゃないんじゃないかとと感じるようになります。
 

日々の生きにくさ

貧乏とか、些細な夫婦喧嘩とか、近所づきあいとか、仕事でうまくいかないとか

そういう日常の中にこそ

人が生きている意味というか本当の生きざまがあって、

いいかっこでもなんでもなく、毎日必死で生きている普通の人間が

(自分のことを棚に上げて)人の失敗や不幸の話を読んで笑い飛ばしてすかっとできるものが

高尚でストイックな芸術と比べて、くだらないとは決して言えないのではないか。
 

普通に暮らす人々のささやかな幸せや、楽しみや、希望は、普通に暮らす人たちの間にこそ必要で、

本や俳句や、芝居や、そういう娯楽というものは、一部の高尚な人たちだけの楽しみであってはいけない

むしろ、普通の人たちに生きる希望を与えるものでなければならない

西鶴の思いは、徹頭徹尾、そこにあったように思います。
 

それは、私自身の料理観とも通じるところ。
                                    

レシピの書き方ひとつ、使う材料で、ちょっとおしゃれに見せたり

何か、すごくこだわりがあるように見せることは可能なのだけれど

私は、わざと、わかりやすく、ぎりぎりまでいろんなものを削って

最低限の手間と調味料で作れるように落とし込んでいきます。
 

実際、こだわってる風のレシピを書くほうが

料理研究家としての威厳は醸し出せるのですが

私は、あえてしません。
 

あえてしないことで、いきあたりばったりでささっと書いたように見え

あまり深く考えられていないようなレシピに見えることもたたあります。

それは、決してプラスにならないことも十分承知しているのだけれど

やっぱり、余計なことはやりたくありません。
 

すごくいい加減なレシピにみられたとしても

そういう風に見ない人もたくさんいてくださって

一人でも二人でも、ああ、作ってよかったと思ってくださったなら

私のレシピは、意味がある。
 

誰でも、簡単に作れて幸せになれる、そういうシンプルなこと、それだけでいいと思っているので

別にすごい料理家にみられる必要はないのです。
 

西鶴もきっと、そんな思いだったんじゃないかな。

今自分が面白いと思うことを書き続ける。

別に偉い先生とあがめられることなど望んでいなくて

自分の作品を読んだ人が、ふっと笑顔になって、つかの間、現実の嫌なことを忘れられたらそれでいいと。
 

そういう風に読んでいくと

芭蕉の存在によって、西鶴のコンプレックスやジレンマなども見事にあぶりだされ

それもまた、西鶴像に、くっきりとした輪郭を与えている気がして

面白いなあと思いました
 

いずれにしても、

西鶴は、最終的には、いい家庭人であり、いい父親であり

人間的にも魅力的で

途中は、はやり何度も号泣しましたが、

今回も、期待通りとってもいい作品でした。
 

さてさて
 

この作品、もう一つの魅力は

あおいの手料理がたくさん登場し

どれもこれも、全部おいしそうなところ。
 

その中で、アジの干物を焼いて、身をほぐし

甘辛く煮た干しシイタケや、みょうが、青しそなどといっしょにたべる

具だくさんそうめんが、とってもおいしそうだったので作ってみました
 
 

この時期そうめんはよく食べますが

アジの干物のほぐし身を具として食べるのは初めてで

やってみると、冷汁のような感じで、うまみがアップして

食べごたえもあっておいしいのです。
 

具だくさんにすることで栄養バランスもいいですね。
 

本当は、一つ一つのグザイをたっぷりと一つずつ器に入れていたのですが

写真に撮ろうとすると、収拾がつかなくなり

結局、こんな風に小皿にちんまり持ってしまいました。
 

なので、実際は、もっとたっぷりのグザイをいっぱいめんつゆに入れて、

そうめんと一緒に食べる感じ。
 

キュウリや錦糸卵なども、本当はあったのでした。。
 

いずれにしても、具だくさんにするとそうめんがごちそうになって、
 

おいしくて、楽しくて、言うことなしです。

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