家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
前から読もうと思って、なかなか読めなかった本を
家にいるこの時間を利用して読もうと思っています。
司馬遼太郎の「国盗り物語」もその一つで
ちょっと前に①②巻をよんで、そのままになっていたのですが
ようやく続きを読み終わりました。
「国盗り物語」③④(司馬遼太郎著 新潮社)
国盗り物語の①②は斎藤道三の話で
③④は織田信長編です。
実は、山岡荘八の「織田信長」全五巻を、以前に読んだことがあって
これが、あまりにも面白く
それまでの織田信長像を覆すような人間味のある信長が生き生きと魅力的に描かれていて
この本を読んで以来、すっかり信長ファンになってしまったくらい。
なので、いまさら、もうこれ以上の信長の話はないだろうと思っているところがあって
国盗り物語③④には、なかなか手が伸びなかったのでした。
ところが、いざ読み始めてみると
さすが司馬遼太郎!!!
読ませるわ~~~~~~。
っていうか、タイトルに織田信長前編・後編って書いてあるんだけれど
正しくは、明智光秀編ですね。
明智光秀と、明智光秀から見た織田信長の話です。
明智光秀と織田信長は、どちらも斎藤道三の影響を受けていますが
価値観が全く違う。
織田信長は、自分を頂点とした国づくりを目指していたので
将軍と朝廷という権力体系を壊し、まったく新しい価値観を生み出そうとしていた。
言ってみたらジョブズですね。
世の中の器ごと破壊して、新しくしようとした革新派。
一方、明智光秀は、あくまで足利将軍をトップとする、室町時代の社会を理想としていた
もともと明智家は、足利の血筋だし
そこを崩すことは、自分のレゾンデートルを否定することになる。
保守派です。
革新と保守。
利害関係が一致している間は、なんとか均衡が保てますが
最終的なところで、うまくいくはずがありません。
それでも、光秀は勤勉で頭が良く、能力がある人だから
将軍と信長と両方に使えるながら、めきめきと頭角を表していきます。
でも、結局、信長にとって
使い捨ての駒に過ぎなかった。
それでも、光秀は、そんなにすごい欲があったわけではないと思います。、
領地として、信長からもらい受けた京都丹波一帯を守り、
平和に治めて、家来や領民を守っていくこと
それで満足して一生を終えられたんだと思う。
そのためなら、信長の理不尽な命令にもがまんして
必死で、やり通せたと思う。
なのに、
突然の領地替えをされ、新しくもらった土地は毛利の土地で
これから戦をして勝って、奪わなければ、自分のものにできない。
言ってみれば、家も財産も収入もすべて取り上げられ
身ぐるみはがされ裸で捨てられたようなもの。
光秀55歳
この年で、この仕打ちは、かわいそうすぎる。
ありえない。
人間を道具としてしか見ておらず、不要になったら切り捨てる信長のやり方に
めちゃめちゃ腹が立つわ。
(司馬遼太郎は、信長より光秀の方が好きだと思う。
信長より、光秀の方に、愛がある気がするなあ。だから余計そんな風に感じるような…))
ここから、本能寺で信長を討つまでの光秀の話は
読みながら息がつまり、号泣しました。
やりきれなくて、どうしようもなくて、
読みながら、涙、涙、涙です。
本能寺の変に関しては諸説あって
これはあくまで小説で、司馬遼太郎の世界。
それをいつも意識して読まないといけないと思っていますが
少なくとも、ここに書かれている話を読む限りは
泣けた、泣けた、泣けた。
光秀の気持ちが乗り移ったみたいになって、本当に泣けた。
光秀自身、本能寺の変の後、自分が天下をとれると思っていなかったけれど
もう、やるしかなかったんだと思う。
本当に、どうにもできないもん。
全てを失い、また一から頑張ったところで
信長が、自分を再び必要とすることはないし
下手をすれば、荒木村重のように、頑張った末に一族郎党殺される可能性もある。
ああ~~~、つらいなあ~~~。
それにしても、細川~~~~~~!!!!
見捨てるかあ~~~~~。
最後光秀が秀吉と大山崎で戦った時に
陣地とした勝竜寺城に行ったことを思い出しました。
光秀の娘の玉子(のちのガラシャ)と忠興の仲睦まじい姿の像があって
なんとも言えない気持ちになったのを
また、思い出しました。
勝竜寺城跡では、ガラシャのお嫁入りの様子を模したお祭りが毎年行われているそうで
せめてお祭りの中では、幸せな時間をずっと守ってあげてほしいなと思ったりしました。
「麒麟がくる」は、新しい解釈で本能寺の変が描かれるそうなので
楽しみです。
豊臣秀吉黒幕説とか
朝廷黒幕説とか
徳川家康&幕府黒幕説とか
いろいろありますが
私の予想は、家康が黒幕で、光秀は天海として生きているという説かな。
っていうか、そうあってほしいという願望です。
そうでないと、
これでは、あまりにもかわいそうすぎるもん。
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