家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
外国人の目を通してみる侍の物語の中に
日本人が忘れてしまった、あるいは日ごろ見落としてしまっているような
“大切なもの”を再確認できた映画でした。
「ラストサムライ」
言わずと知れた名作なんですが
なぜか、今まで、まったく見るきっかけがなくて
でも、先日、世のおじ様たちと同じく、自分も時代小説が根っから好きなのだという事に気づき
それなら、侍とは何か、みたいなことを、もう一度考えてみようって思って
見てみることにしたのでした。
ストーリーをざっくり書くと
舞台は明治の初め。
侍の時代が終わり、日本が近代国家に突き進もうとしていた時代です。
最後の武士である勝元と
近代的な軍隊を率いる大村との間で繰り広げられる戦いが
物語の柱です。
日本を一新し、近代国家にするために、
武士を葬り去る必要があった、そんなぎりぎりの時代。。
主人公のオールグレン(トム・クルーズ、めちゃかっこいい)は、
軍隊側に雇われていたのですが
あるきっかけで勝元にとらわれ、勝元の村で暮らすことになります。
彼には無抵抗のインデイアンを虐殺した経験がアリ
それがトラウマになっていました。
時代の流れの中で、亡き者にされていく命。
近代化という名のもとに、失われていく大切な文化や心。
無抵抗な命を奪い、近代化を押し付けることに対し
行き場のない悲しみや憤りを感じるオールグレン。
彼は、武士の生きざまと置かれた境遇に、かつてのインデイアンを重ね合わせ
勝元側について、一緒に戦うことを決意します。
この映画は
武士という存在
武士という生き方を
オールグレンの手記を通して描かれていきます。
外国人目線で語られているからこそ
よけい、日本を強く感じることができたように思いました。
で、この映画を見て、あらためて思ったのは
近代化というのは、いったい何だったんだろうという事でした
特に、明確なビジョンがあったわけでもなく
近代国家になるために、とりあえず髷を落とし、刀を取り上げ、武士を一掃する
とりあえず、目に見える変化を求めただけの安直な考えだったようにも見え
やりきれない気持ちになりました。
映画の中で、印象に残ったシーンがあります。
オールグレンが勝元に、こんな話をするんです。
かつて紀元前に行われたペルシア戦争で
200人のギリシア人が100万人のペルシア軍に戦いを挑んだんだと。
勝元は、オールアールグレンに聞きます。
「ギリシア軍はどうなった?」
オールグレンは答えます。
「最後の一人まで戦死した」
それを聞いた、勝元は、にっこり笑って、最後の戦いへと踏み出すのです。
ここのシーンは、本当に、心を打たれます。
戦っている人数の差、そして状況、すべてがそのまま勝元の置かれている状況だったのです。
死ぬとわかって戦いにどむ。
そこに武士としての誇りと矜持がある。
そもそも、日本人の心にある武士道の精神は
他との比較ではなく、自分の内面との戦いに重きを置いてきたように思うんです。
それを突き詰めれば
結果ではなく、
その生きざまにこそ意味があるというようなこと。
勝つとか、負けるとか、生きるとか、死ぬとか
そういう事じゃなく
大事なのは、自分たちの矜持を守り、最後まで自分らしく生きるってこと。
武士にとって大事なのはHOWなんです。
近代国家になるという事は、ある意味競争社会を意味し
競争の中で勝つことを目指してきた。
より強く、より早く、より効率的に、
誰かとの比較の中で、価値が評価されるようになった。
それは、世の中が発展し、便利になるためには必要な事なのかもしれないけれど
武士がいなくなったときに
大事なものを見失い始めたんじゃないか。
そんなことを、すごく思いました。
私は、武士の生き方の中に
私は、何かものすごく惹かれるものを感じます。
“Hou much”よりも“Hou”を大事にしたいと思うのです。
人との比較の中で、勝ったとか、負けたとか
そういう風に考えずに、生きたい
自分らしく、自分にできることで、誰かの役に立ちたい
そういった気持ちは、どこかで武士につながっているように思うのです。
近代化の流れの中で
武士が生き残ることは難しかったとは思いますが
武士の矜持は、確実に静かに、いまだ日本人の中にあると
私は思いたい。
今、この状況の中で
改めて、いろんなことを考えた映画でした。
コメント
ちょっと前に、見ましたが、理想のサムライが描かれており、とても面白かったです。日本人の監督さんが作ると、ひねったものが多いですね。クリントイーストウッドの「硫黄島からの手紙」もよかったです。
戦争映画は、ちょっとテーマが重いですが
いろいろ考えさせられますね。
硫黄島からの手紙も以前見ました。だいぶ前に見たのですが、結構ずーっと長い間、いろんなことを思った映画でした。