家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
「ウイズコロナ」も気になりますが
「アフターコロナ」への関心も高まりつつあり
先日出版されたばかりの本を読んでみました。
「コロナ後の世界を語る」(朝日新聞出版)
この本は
様々なジャンルの知識人の方々が
コロナ後の世界について語っているものをまとめたもので
新聞に寄稿されたものもあれば
このためにインタビューをして原稿を起こしたものもあります。
新聞に掲載された記事は
すでに読んだことのあるものも、多くあったのですが
それでも、あらためてまとめて読んでみる
様々な問題提起を突き付けられました。
「不要不急」という言葉について、特に考えさせられました。
「不要不急」とは何か。
養老先生が80歳の自分自身を見て、自分の人生自体「不要不急」だと
自虐的に書いておられましたが
不要不急って、いったい誰が決めるんでしょう?
誰かにとって不要不急でも、誰かにとっては、大事な事である場合もあるし
ウイズコロナの中で、不要不急と切り捨てたものが
アフターコロナの世界では、とても重要になる可能性もあります。
そういう意味で
東畑開人さん(臨床心理士)の文章は、心に刺さりました。
(東畑さんの書かれた「居るのはつらいよ」という本は、おすすめです)
ウイズコロナの間は
「不要不急」の掛け声で、一律に自粛を守っているけれど
アフターコロナは、その一律に守ってきた基準がなくなる。
一つの号令でそれーッと進んでいる時は
他のことを考えずに流れに乗ればいいので、
ある程度の不自由はあるにしても、深く考えずに順応でるんだけれど
問題は、その号令がなくなった後。
「不要不急」という基準がなくなった時
どっちの方向に進めばいいのかわからなくなる可能性がある。
自由というのが、最も不自由で
いつでも自由にどうぞといわれると
逆に、動けなくなってしまう。
東畑さんが書いておられるように
反応の速度は人によって違うし
心が順応していくのには、もっと時間がかかる。
臨床心理士の仕事は、時代の速度で歩けなくなった人と共に
その人固有の速度を探す仕事なのだそう。
そういう意味では
そういう役割を担う人が、アフターコロナには必要になってくるなあと思いました。
そして、そういう意味では
家庭料理研究家の仕事も、この役割を担う仕事になりうるのかもと思えました。
人の健康と幸せは
体と心と両方から、守っていかなければなりません
そう考えると、
家庭料理は、アフターコロナの暮らしの根幹になるはず。
おうち時間は
日々、食べる事を見直すきっかけになったと思いますが
そのきっかけを、更に支えていくことは
家庭料理研究家としては、大事な仕事だと思います。
食べる事、作ることの意味は人それぞれ
家庭の台所に根差した料理を発信することで
一生懸命暮らしている人を支えていけたらいいなと
改めて思えました。
私にできることなど、たかが知れていますが
それでも、家庭料理で役に立てることが確実にあるし
発信し続けることで、アフターコロナを一緒に戦う力になりたいと思えた一冊でした。
コメント