家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
毎年正月には、何か映画を見に行くことにしていて
今年は『かぐや姫の物語』を見ました。
高畑監督作品は
「火垂るの墓」や「思い出ぽろぽろ」など
素晴らしい作品ばかりなので
今回も、とっても楽しみにしていたのでした。
竹取物語、かぐや姫というと
昔話としては、あまりにも有名ですが
中古文学としても、とても奥の深い物語。
それが高畑監督の手にかかれば、どんなふうに表現されるのか。
結論から言ってしまうと
想像以上に奥が深く、色んな意味で感動し、いろんなことを考えさせられる作品でした。
物語は竹取の翁が光る竹を切ると、中から赤ん坊が生まれ
やがてすくすくと美しい姫に育っていくという周知のお話です。
やがておじいさんは、
大きな屋敷に住み、立派な貴族と結婚することこそが姫の幸せだと考え
山の暮らしを捨て、都へと移り住みます。
姫の美しさはたちまち評判になり
高貴な人からの求婚
差し出される珍しい財宝。
けれど拒み続ける姫。
お金や地位や、豊かな暮らしが
果たして、どれだけ人を幸せにしてくれるのか
見かけの美しさや贅沢な財宝や大きなお屋敷は、たしかに素晴らしいかもしれないけれど
それは本質ではない。
食べるものなく、時には木の根っ子をかじるような貧しい暮らしは
決して豊かで幸せだとはいえません。
けれど時に、皆で雉を捕まえ、きのこをとり
ささやかなごちそうを皆でわけあって食べるようなささやかな幸せが
都での贅沢な生活以上に幸せな瞬間になるということもまた
たしかなことのように思えるのです。
姫の心のなかの苦しみや寂しさは
そのまま、強烈なメッセージとしてつきつけられます。
やがて、月へ帰ることになる姫。
迎えにやってきたのは
なんと、天女と一緒に雲に乗った阿弥陀様。
それはまるで、平等院の扉絵のような図です。
平安時代。
末法思想全盛の時代に、この世は生きるのがつらくても
死ねば阿弥陀様が天女とともに迎えに来て、極楽に行ける。
生きるのがつらくても、あの世では幸せになれるのだという思想。
雲に乗った阿弥陀様の図は一見その末法思想を彷彿させるのだけれど
決してこれは、世紀末的な思想ではありません。
それまでに繰り返し、繰り返し流れる歌を思い出します。
まつとし聞かば、今帰りこむ
待っているとわかっていれば、必ず帰ってきましょう。
命は巡り巡って、待っている人のところに帰ってくる。
ここで親鸞の二種廻向の考えに、はたと行き着きます。
二種廻向というのは親鸞が晩年、その思想の中心においた考えで
人は生きている時にどんなに苦しくても
死ねば阿弥陀様のおかげで必ず極楽浄土に行ける。
けれど極楽浄土にずーっと居続けるわけではなくて
もう一度、この世に生まれ変わって帰ってきて人の役に立つことができる。
つまり、死んだらそれでおしまいなのではなくて、
もう一度この世に戻ってきて、誰かの役に立てるのだという考え。
極楽に連れて行ってもらえると思うことで
人は、この世の苦しみや悲しみを乗り越えることができるし
この世にもう一度帰ってこられると思うことで
年をとって死へ向かって行くことの恐怖や不安を、なくすことができるのです。
生きていることは、楽しいことばかりではないけれど
命に限りがあると思えば、
そこにささやかな喜びや幸せを感じることができるし
もう一度この世に帰ってこられると思えば
今ここに生きていることは、必要とされているからこそ生命があって
誰かを幸せにしたり、誰かの役に立つことこそが
この世に生きる意味なのではと思えてくるのです。
生きること、死にゆくこと、生まれてくること
命はどの瞬間も尊い。
山川草木悉皆成仏
生きとし生けるもの、全てに命があり、全てに仏がいる
高畑監督の命への暖かくて優しいメッセージが込められているような気がしました。
今年一年
いいことばかりじゃないかもしれないけれど
それでも、日々感謝しつつ大切に暮らしていきたいなと思えました。
そして、自分以外の誰かの役に立てるように、とも。
子供も、若者も、大人も、すべての年代の人に
おすすめの映画です。
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