でいりいおくじょのBLOG

2014.05.18

読書日記 「世界屠畜紀行」(内澤旬子著 解放出版社)

この本はタイトル通り

日本と世界の屠畜場を取材し、綿密なイラストとともに紹介した本です。
 

この本が出版された時

相当話題になったし、本屋さんにも平積みになっていて

私も食に携わっている人間として

読んで置かなければと思って、買ったのを覚えています。

けれど、当時は、屠畜場に女性が行って

その過程をルポされたということだけで圧倒されて

その内容まで、深く理解するに至りませんでした。
 

ここ最近「捨てる女」から、「体のいいなり」まで

内澤作品を、一気に読んでみて

まじめすぎるくらいまじめに仕事をされる方なんだということがよく分かって

これは、もう一度この本をじっくり読み返すしかないと思ったのでした。
 

さて、この本を読んだ感想を書く前に

最近見たテレビ番組の話を少し。
NHKで日曜日の朝やっている「サキどり」という番組で

先週と今週、2週にわたって和牛をテーマにしていました。

肉について、結構知らないことたくさんあるんだなあと

とても興味深く見ました。
 

先週は赤身肉、今週は霜降り和牛。
 

赤身肉はここ数年、高齢化や健康志向の影響で、人気が上がってきているそう。

(私は、赤身好きなので、うれしい!)

牛肉の自由化により、アメリカやオーストラリアから、安い赤身肉が入って生きたことで

国産の赤身肉は押され気味だったのだけれど

そこは、やはり日本人の頑張り気質というか、研究熱心な真面目な国民性というか

赤身肉もどんどん改良が進んで、従来の赤身肉とは違うやわらかくて適度に脂のおいしさも感じられるような肉を作ることができるそうなんですね。

やっぱ、すごいぞ日本人。
 

一方、今日放送されていたのは霜降り肉。

こちらは、緻密に計算された飼育方法が確立されていて、これも日本人ならではの芸術品。

けれど、この素晴らしい和牛の飼育方法を取り入れ、

オーストラリアでWAGYUが作られているのだとか。

日本の和牛そっくりの、美しい霜降り肉。
 

番組で紹介されていたのは、このWAGYUに対抗して、和牛を世界に売り込む戦略。

日本のこの霜降り肉なら、自信をもって世界にバンバン輸出できるだろう

と、思ってしまうのだけれど

実はそうではないらしく、まだまだ輸出品としての市場は小さいのが現実なのだそう。
 

輸出を阻んでいる原因の一つが

屠畜方法にあるということが言われていて

そこで、ハタと思い出されたのが、この本に書かれていたもろもろのこと。
 

たとえば、イスラム教の国の人たちは、まず豚を食べないし

他の動物にしても、イスラムの規律にそった屠畜方法で肉にされたものでないと口にはしないと、あった。

また、ヨーロッパでは、動物愛護の精神が強いので

なるべく動物に苦痛を与えない方法で肉にするということが書かれていた。

つまり、自国の屠畜方法で作られた肉でないと、肉として認めてもらいない。

衛生面とは違う、こういう問題は解決の糸口がつかみにくい。
 

一方、大量食肉消費国であるアメリカはというと

この本が書かれた2007年の時点で、かなりのオートメーション化が進んでいて

まるで歯ブラシや缶詰を作るみたいに、牛が牛肉になっていく。

確かにアメリカらしい、合理的でスピーデイー、低コストで大量に肉を作れる。
 

合理的にコンピュータ管理された屠畜場は、様々なメリットがあるのだろうけれど

この本紹介されている日本の芝浦屠畜場の、繊細な職人技もなければ

いぶし銀のような渋い職人さんもいない。

屠畜のプロというものは、むしろ必要ない。

それはそれで、アメリカっぽい感じはするけれど

私なんか、こういうのにちょっとついていけない感じ。

人間がそれほど合理的にできていないせいもあるのだろうけれどので

どうしても日本人のプロ意識というもののほうに感動してしまう。

赤身肉をおいしくするために努力を惜しまない日本人。

世界市場で戦える霜降り肉を作るべく頑張る日本人

やっぱ、日本の肉だわ、食べるなら日本の肉だわ、と私は思ってしまいます。
 

でも、この本を読んだおかげで

肉(牛肉だけでなく、豚肉や鶏肉も)を見る目が変わったのは事実。
 

考えてみたら、毎日お肉を目にして、台所でも食卓でもお世話になっているのに

畜産、屠畜の部分と、肉を食べる部分が分断されてしまっているなあ、と改めて思いました。(これは、農業でも言えることだけれど)

便利になるとか、豊かになる、ということはつまり、こういうことなのだから

その便利さの上に胡坐をかいて生活している以上、そのことを否定できないわけで。

ただ、時にこういう本を読んでみると

今まで見えなかった視点から、食べることや料理することを見直すことができてよかったと思います。
 

たとえば、この本のもう一つのテーマとしてあるのが

屠畜とか、動物を食べるということは残酷なことなのか、ということについても
 

確かに、私もこの本を最初に見たときは、なんだかちょっと残酷なシーンがあるなあ

と思ったし、

だからこそ、女性でここに踏み込める人ってすごいなあ、と思ったわけだけれど
 

この本を読み終わってみると

残酷などという言葉を安易に使ってはいけないと思うようになりました。
 

生きるためには何かしら、ほかの命を食べなければならないわけで

それは、動物だけの問題ではなく、植物だって命を食べることには変わりないわけだし。
 

この本の中で印象的な言葉がありました。
 

衛生検査の獣医は生き物を生かすのではなく殺すけれど、(屠畜場の)作業員は豚や牛を生かすんだ。
 

一瞬、それは逆なんじゃないかと思うけれど、そうではないのです。

獣医は、豚や牛の病気や異常を発見して、食肉としての製品にダメ出しをするのにたいして

屠畜の作業員は豚や牛をきちんと食肉として製品にする。
 

そるほどね~。

命を奪うからこそ、きちんと肉にし、きちんとありがたくいただく。
 

それならば

大量の残飯がゴミになっている現実はどうなる?
 

屠畜という現場は、日々の暮らしからは完全に隔離されていて

残酷さも恐怖も完全にシャットアウトされている

血も内蔵も汚物も見ず

衛生的でにおいもゴミもないクリーンなところで肉を手に入れ

たべきれないで捨ててしまっている生活。
 

これこそが、本当に気づくべき残酷さとは言えないか。
 

屠畜という、特殊なテーマで書かれた本ですが

内容は、このタイトル以上に奥深く
 

食べるということの本質

健康、安全、美味しさに加えて

ありがたくいただくということを、改めて考え直すことができる一冊でした。

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