家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
昆布と日本人を読んで
やっぱり関西はだし文化なんだわ~と思った後で
ふと、じゃあすき焼きはどうなのよと、思った私。
関西風のすき焼きは
すきやき鍋に牛脂をひいて、脂がじくじくと溶け出したところに
牛肉を広げて入れ
牛肉に火が入りきらないうちに、砂糖を全体に振り入れてからめ
溶けた砂糖が肉汁と絡まってジュクジュクと焦げそうになったら
醤油をいれて、全体に絡める
とりあえず、このしっかり甘辛味のついた牛肉を味見してから
水の出る具材、例えばきのことか豆腐とか、ネギとか、玉ねぎなんかをいれて
水分はほとんど加えずに具材から出る水と牛肉から出る旨味でぐつぐつと具材を煮る
これが、私の作る関西風すき焼き
一方、関東風のすき焼きというのは
醤油や味醂で味付けただし汁を煮立てて
そこに牛肉やら野菜やらをいれてぐつぐつ煮ながら食べるらしい、ですね。
この割り下というのを使うこっちのすき焼きのほうが
考えてみたら、関西っぽくないですか?
だし汁を使ってるし。
そんなことを考え始めたら
関東風のすき焼きというものをやってみたくなりまして
生まれて初めて、割り下を使った関東風のすき焼きに挑戦してみました。
関東風のすき焼きって食べたことがないので
食べたことがないから、どんな味加減なのかも正直わからず
とりあえず、本を見ながら作ったのですが
普段食べている味と全く違うので、これがあっているのかどうかもさっぱりわからず
そうなってくると、
これが美味しいのかどうかもわからず
仕方ないので、普段食べている味に近づけたほうがいいような気がしたのが
失敗の始まり。
よせばいいのに、いつものように砂糖をいれて、醤油をいれているうちに
ますます、訳の分からない味になってしまい
どんどん味が濃くなってしまい
最終的には、ご飯にかけて具だくさんの牛丼ってことで
なんとか決着をつけたのでした。
これって子供の頃から食べ慣れている味への執着なのか
あるいは、すき焼きの味としておいしいと思う味のゾーンが意外に狭いのか
自分の味覚が案外保守的なのに自分でもびっくり。
そういえば、うなぎとかうどんのつゆとかでも
自分では、そんなにすご~くこだわりを持っているつもりはないのですが
関西風のほうが、やっぱり落ち着くんですよね。
関東風のがまずいというわけではなくて、
おいしいのはおいしいんだけど、なんか心と頭が納得してないというか。
やっぱり、生まれ育った味覚の壁は、乗り越えられないのでしょうか?
実は関東と関西の壁をヒョイッと軽々飛び越えられる食べ物が一つあって
何を隠そう、天丼なんです。
関西風、特に京都の天丼というのは
さくさくの薄い衣に薄いめんつゆのようなのが少ししみているのだけれど
あくまで天ぷらの衣はからりとしていて、サクサク軽い感じを失っていない
色はほんのり色づく程度の明るい黄土色
そういうものが、天丼だと思ってきたんですね。
浅草で食べた東京風の天丼は
そもそもの天ぷらの衣がふにゃふにゃしていて色も濃く
更にそれに真っ黒なこゆーい味のつゆがベチャッと染み込んでいて
それが、ご飯の上に、それこそ丼からはみ出さんばかりにのっているわけです。
ビジュアル的には、品がいいとか美味しそうとか、そういう次元とは違うところにいる感じ
ところがなんです。
ひとくち食べてみると、うまいのですよ、これが
こゆーい甘辛味のつゆがしみしみの天ぷらの衣が
夢中で頬張ってしまうくらいに旨いのです。
もうそうなると、関西だろうが、関東だろうが
そんなことはどうでもよろし、
旨いものは理屈抜きでうまいんだわという、
なんだかわからないけど、悟りの境地にいっちゃうんですね。
関西だから、関東だからおいしい物ももちろんあって
どうしても譲れない境界線もあるけど
時にこんな風に、その境界線をヒョイッと飛び越えてしまう食べ物に出会うと
なんだか、ニタニタと笑いがこみ上げてきたりする私です。
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