でいりいおくじょのBLOG

2014.03.29

読書日記 「考える胃袋」(石毛直道、森枝卓士著 集英社新書)

先日、天声人語で

石毛道直先生が南方熊楠賞を受賞されたことを知りました。

この賞は博物学や民族学で優れた業績をあげた方に送られる賞。

石毛先生といえば、食文化研究では第一人者だし

しかもその研究が丹念なフィールドワークによって築かれているという点で

すごい方なんです。

けれど食文化研究というジャンルが医学とか栄養学とか生物学とかに比べて

学問として評価されることが少なかったので(他に類のない貴重な研究なのに)

この受賞をすごく嬉しく思った方はたくさんおられると思います。

料理好きで大食漢の私生活の話や

世界を旅して食べてきた麺料理の話

お二人のお得意分野である魚醤の話など

口語体で書かれているので、まるでその場にいて一緒に話を聞いているかのよう感じで

読める一冊です。
 

さくっと読めるのですが

そこはこのお二人の対談ですから、

食文化に対するうんちくは半端無位くらい広範囲で深い
 

例えば

スパゲテイーと東アジアの麺との関係をきちんと立証した論文というのはないという話になって

森枝氏が「マルコ・ポーロが麺を中国から持ってきた」という説は本当ではないということは、もう知られているようですね、とおっしゃる。

普通だったら、ああ、あれは嘘ですね、で会話が終わると思うんですが

そこが石毛先生のすごいところで

そレについて、なぜそれが嘘なのかを淡々と話されるわけです。

1929年発行の「マカロニ・ジャーナル」という業界紙に載った記事がでどころ。
 

なぜ、それがでっち上げの記事かというと

マカロニという名称は、マルコポーロが帰る前からイタリアに存在していたからで
 

なぜなら

マルコポーロが中国から帰る前の1279年にジェノバの公証人が作成した財産目録の中に「マカロニがいっぱい詰まった箱」というのがある。

財産目録に書かれるくらいだから、貴重な食品だったわけで

確実にその時代に存在していたとおっしゃるわけです。
 

噂とか、~だそうだ、というような話ではなく

きちんと調べ上げ、本当のことだけを淡々と話される。

それが世界の食文化全般に及んでいるわけですから

そのうんちくの深さというのは、もう神としか言いようがありません。
 

このお二人の会話の中で、面白いなあと思ったのは料理についてはなされているところ。

おふたりとも食べるのはもちろん作るのも大好きなんだそうで
 

石毛先生いわく

料理のレシピというのは音楽で言ったら譜面に当たるけれど

譜面通りに演奏するだけではつまらない

演奏する面白さというのは、自分なりの譜面の解釈やアドリブにある。
 

そうなんです!!
 

たしかに有名シェフとか老舗レストランの幻のレシピ、みたいなのがあって

それを忠実に守っていく、というのも素晴らしいことだとは思うんですが
 

少なくとも家庭料理のレシピというのは

そのとおり作ってもらうのが第一段階なんだけど

できればそこから、家庭らしくアレンジしてもらって

完成されていくものだと私は思っています。
 

なので、私はレシピを書く時

あまり、きちんきちんと完成させすぎないように、ということを思っていて

わざと100%作りこまないで

作る人が、

これにきのこを足しても良さそうとか

ピリ辛にしてパスタにからめても美味しそう、とか

これの代わりにあれを入れてもいいな、とか

作った人が、自分のアイデアを思いつくような余地をわざと残しておくような

レシピをかくように心がけています。
 

それは、言い換えれば、ほんのちょっとした遊び心が入る余裕みたいなものだと思っていて

一度作ったら

次はああしてみようとか、こうしてみようとか思えることで

料理が楽しくなってくるようなこと。
 

家庭料理というのは、一期一会的な料理ではなく

ここからずーっとつながっていく料理だと思うんですね

人も時間も
 

それをこの本では、フリージャズの世界という言葉で書かれていますが

まさに、そんな感じ。

その時その時のアレンジで

演奏する人も聞く人も、音楽を楽しめるように

作る人も食べる人も、食べることを楽しめる

それこそ、家庭料理の醍醐味であり、面白さ!!
 

この本は

料理の奥深さを教えてもらいつつ

あらためて、料理ってなんて楽しくて、人を幸せにできるものなんだろう

と思える一冊でした。

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