家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
暑い夏には、冬山登山の話が読みたくなります。
最近、登山をテーマにした小説がたくさん出ていますが
あえて、それらの最新刊ではなく
前から読みたかった、
「凍」(沢木耕太郎著 新潮社)
を読んでみました。
この本は、実在の人物、山野井泰史、妙子夫婦によるギャチュンカン登山を書いたノンフィクション小説です。
ギャチュンカンというのは
世界最高峰のエヴェレルトと第六位の高さをもつチョー・オユーという山の間に位置しています。
高さが7952メートルで、8千メートルに48メートル足りないことで
8千メートル級の山の仲間には入れてもらえない。
登る苦しさは8千メートル級の山とほぼ同じなのに
登頂しても8千メートル峰を上ったという勲章を得ることができないこともあって
世界のクライマーにはあまり関心を持たれていない山でした。
そんなギャチュンカンに山野井が登ろうと思ったのにはわけがありました。
1964年に8千メートル級の高峰がすべてクライマーによって制覇され
最初に登ったという勲章がもはやなくなって以来
クライマーたちの関心は「ルート」に向かっていました。
つまり、より難しいルートで登るということが、勲章となるようになったのです。
そして、そのより困難なルートという流れは
より困難な壁をよじ登って頂を目指すという登山スタイルを確立することになりました。
一言で登山といってもいろいろなやり方があって
チームを組み、前進キャンプを設営しながら、荷物をあげていくやり方
それに対して、少人数または単独で、短期間のうちに登る方法。
(単独だと、食料や衣類などがたくさん持てないので、短期間で登らざるを得ない)
山野井は、ソロで壁を登っていくクライマーでした。
ギャジュンカンの北東の壁は、いまだ誰も登ったことがなく
しかも登ることができるのかどうかもわからない。
試みられたこともなければ、それに関する情報もない。
けれど、だからこそ、未知なる自分の力に挑戦したくなった
まったく安全だというのなら、登る必要がない。
彼はそう考え、妻妙子と一緒に登ることに。
登山は決して順調ではなく
ことあるごとに、悪い条件が重なっていきます。
登山を断念するという選択もあったはずなのに
半ば強引にも見える決断で、登山を進める山野井。
そしてその判断が、さらなる試練を生むことになるのです。
山野井夫婦に降りかかる壮絶な現実は
ぜひ、実際に読んで実感してください。
読みだしたらもう一時も目を離せない、息が苦しくなるようなストーリーです。
命のギリギリのところで、何とか助かって帰還した山野井の心情を描いた部分に
私は、自分のことと照らし合わせて、共感する部分がありました。
何事も、ある程度長く続けているとマンネリしてきて
経験することに新鮮さを失ってしまう
すべてを知っているような気になって
特別なはずのクライミングが、普通の生活の一部のようになってしまう。
そうした中で、ここ数年行き詰まりを感じ
他の人が賞賛してくれることも、自分ではたいしたことがないように感じ
能力も気力も高まらず
このままズルズルいったらやばいことになると、かすかな不安を感じる。
こういう気持ちが、小さな判断を狂わした
この登山で起こった事故は、そういう自分の気持ちが原因で
起こるべくして起こったのだと。
これって
登山に限らず、どんな分野においても、その道のプロとして頑張ってきた人なら
誰でもが直面する壁なのではないかと思ったのです。
私自身、家庭料理をずーっと作り続けてきて
一応プロとして、料理を仕事にしてからも20年以上たつわけですから
四季折々の家庭料理というのは、もう何周も作ってきて
ある程度、家庭料理なら何でも作れるような気になるときがあります。
料理を始めたことろは、確かにいろんなことに驚いたり喜んだり感動したり
していたのに
いつの間にか、それが生活の一部になってしまい
新しい料理に挑戦しても、ああこれはこういうことね
みたいな、妙に分かった風な理解をしてしまうことも多々あり。
そうなってくると、
もう自分には、新しい料理なんて考えられないんじゃないかという
意味もない不安に襲われたりするわけです。
頭で考えて体を動かしているようなのはダメで
考えずに自然に手足が動くようになるまで、繰り返し繰り返しやるって見る
それは必要最低限やれねばならないことだと思うんです。
頭で考えずに勝手に体が動くようになる。
これがプロとしてのスタートラインだと思うし
それは多分、料理や登山だけではなく、あらゆるほかの分野でもそうだと思うんですね。
でも、頭で考えずに自然に体が動くことの中に
新しい発見や感動を持ち続けられるのか
これが、次の壁になってくる。
一通り、何でも知っている、やれると思っている自分に対し
お前は何にもわかっていない、知っていることなんてほんの少しで
本当は料理の大部分はわかっていないのだと
自分に言い聞かせて、
自分が分かった気になったことの一つ一つを、もう一度見直してみる。
そうすると、料理について、まだまだ知らないことだらけの自分を知って愕然とし
自信を無くし、不安になる。
ソクラテス、無知の知
けれどここからが勝負です。
山野井妙子は両手の指10本を根元からすべてなくし
山野井泰史は、両足の指と両手の指それぞれ2本ずつを無くしました。
手の指3本ずつになってしまった山野井ですが
医師から、無くした指を使いたいという気持ちを完全になくしたならば
残り3本の指と脳との回路がつながって
普通の人の指より発達するだろうと告げられる。
すべての指を無くした妙子は、手のひらだけの手で包丁を持つすべを習得し
家事を自分でこなせるようになり
本もページがめくれないから、お箸を使ってめくるすべを編み出す。
山野井も指のない足、残された3本ずつの手の指で、
その過酷な状況の中で
新たな登山への挑戦を始めるのです。
料理は一生勉強
若いときは、そんなものかと思っていたけれど
年を重ねるにつれて、その言葉がどんどん重くなってきます。
自分らしい料理を作りたいと思うけれど、自分らしさにとらわれず
知ったような気になっていることに、日々新たな発見をし続けたい。
まだまだ、挑戦は続きます。
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