でいりいおくじょのBLOG

2014.10.12

読書日記「魔女の1ダース」正義と常識に冷や水を浴びせる13章(米原万里著 新潮社)

ある国や、ある文化圏で絶対的と思われてきた「正義」や「常識」が、

異文化の発想法や価値観と照らしあわされたとたん

あっけなく崩れ去ることがある。
 

絶対的な価値観と、それを裏側から見たときの可笑しさ

そんな逆転的発想を、文学、言語学、人類学、料理など様々な分野で展開し

おおいに笑わせてくれる一冊です。

著者はエッセイスト、作家であり、元ロシア語同時通訳者でもある米原万里さん

(以前「旅行者の朝食」という本を紹介したことがあります。これもすごく面白いのでおすすめ)
 

例えば、この本のタイトルでもある魔女の1ダース

1ダースといえば通常は12個を1組として数えるときの単位だけれど

魔女の一ダースは13個を一組というのだそう。

(岩波露和辞典にもちゃんと出ているらしい)
 

キリスト教文化圏において13は不吉な数字で

最後の晩餐で13番人目が裏切り者だったり、絞首台の階段が13段だったり

13階の建物13号室など、ことごとく嫌われる。
 

一方12という数字は好ましく幸福な数字、

キリストの生まれ月、その弟子の数、天空の星座の数、すべて12
 

安定を意味する12に対して、攪乱を意味する邪悪なものとして13という数字を

魔女の1ダースということにしたらしい。
 

この数字がさらにおもしろいところは

東洋では13がおめでたい数字として扱われることが多いこと

宋代に確立した仏教法典は13経、中国の仏教は13宗

3月13日に13歳の少年少女が盛装して虚空菩薩に参詣する十三参りでは

境内で13個のお菓子を買ってお供えをする。
 

話題は、この13から始まって、国際経済や人類学、文学、教育、恋愛論から、下ネタへと、

あちこちに広がり、読む者を飽きさせません。
 

特に私が面白かったのは、やはり食文化。
 

モスクワにおける中国料理とハルピンにおけるロシア料理の比較。
 

モスクワでは、中華料理をロシア料理のフルコースの順序で給仕し

(最初に前菜、次に汁物、魚料理、肉料理、ご飯、デザートという具合に)
 

ハルピンでは、ロシア料理を中国風のサービスで出す。

(最初に前菜、そのあと、スズキの野菜にとか、きーえふふ鳥のカツレツとか、ビーフストロガノフとか、七種類のメインで一種が多さらにのせられて運ばれ、それぞれを小皿に取り分けて食べるのだそう。そうして最後に黒パンとボルシチ)
 

多種類の料理が大皿多で供されて取り分けるスタイルの中国料理を、一人前ずつフルコースで食べるとどんな感じなのか
 

一人分ずつ供されるべきがっつりしたメイン料理が7種類も次々大皿で並んで、

取り分けて食べるとなると、メインデッシュのごちそう感はもはやなく、

残りは満腹感のみかも。
 

料理を食べる順番というのは、かなり頑固な価値観が存在する部分なので

それが違ってくると、かなり厳しいものがありますね。
 

例えば、日本人にとって、肉や魚とご飯と汁の関係は

一緒に食卓のるか、肉や魚が先でご飯汁は〆めが普通。

それが、イタリアンレストランだと

パスタとスープはともに前菜で

さらに、そのあとに、肉料理か魚料理。
 

日本人の食習慣からすると、この順番はあり得ないし

パスタ+スープ+サラダで完結しても、まったく問題なし。

これって 親子丼(おかず+炭水化物)+味噌汁+小鉢もの(おひたしとか)みたいなものだもの。
 

けれど、イタリアレストランに行って、前菜だけ食べて帰るのは失礼だと言われれば

多くの日本人は、そうれもそうだと、

炭水化物でもはやおなかも気持ちも満たされているにも関わらず

メインデイッシュを食べることになる。
 

なんか順番違うなあと思いながらも

日本式に、肉や魚を先に食べて、〆はピザにする?パスタにする?

などということには絶対ならないですよね。
 

異質の文化やルールを、一生懸命受け入れて守ろうとするところが

日本人の民族性ですね。

明治維新で、ひたすら外国の文化をまじめに受け入れようとした名残りなんですかね。

決して、モスクワの中国料理や、ハルピンのロシア料理みたいにはならない。

面白いなあと思います。
 

こんな風に、この本には、自分たちが常識とか、当たり前とか思っていることが

実は全然、あたりまでではないんだという話が面白おかしく展開されていきます。
 

米原さんいわく

社会が大きく変わっていく激動期を迎えた国は

いつの時代にも盛んに翻訳が行われ、

新しい世界観やものの考え方を取り入れることで

自己完結しているように目る世界に、風穴を開けてきた。
 

この本の初版は1996年なので、まさにそういう時代だったのかもしれません。
 

けれど、その時代から20年近くがたって

時は情報化の時代、

異文化も、違う価値観も、モノの見方や考え方、玉石混合の情報が

自分から手に入れようとしなくても、目に入り耳に入り

手におえない情報の波に、アップアップ
 

有り余る情報の中で

声が大きかったり、力が強かったり、数が多かったりする意見が

正義や常識に思えることもある。
 

けれど、そういう情報がたくさんあふれればあふれるほど

実は、その表面に出てきていない、目には見えないこと

声を出さず、静かに存在していることがあるということを

想像する力が必要になってくる。

そのことを、この本は教えてくれるのです。
 

人は常に、絶対的な価値観を求めがちだけれど

絶対的な価値観より

自分の価値観とは違う価値観を認める価値観を持つことが

本当は、大切なんだと思う。

特に、情報があふれればあふれるほど、それがより重要になる。
 

そんな風な価値観で、改めて料理を見直してみると

料理の世界にも、まだまだ新しい可能性が満ち溢れているような気がしてくる私です。。
 

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昨日、今日の「日めくりレシピ」は週末スペシャル!

テーマは長なすでした。
 

なすといえば、10~15センチくらいのものが普通だと思いがちですが

九州に住んでいた時、なすといえば長なすが一般的でした。
 

一説では、日本には150種以上のなすがあるそうなので

「なす」といっても、人によって思い浮かべるなすは違うはず。
 

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奥薗壽子で検索してください。

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