家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
流行りモノにすぐ飛びつくというのは
自分ではなんとなく恥ずかしい気がして
たいして気にしてないようなふりをしていることがままあるのですが
今回は、我慢がならず、早々に手にとってしまいました。
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
〈村上春樹著 文藝春秋〉
正直言って
私はハルキストではないし、
そんなにたくさん村上春樹作品を読んでいるわけでもないのですが
今回の作品は、最初の一行目からぐっとくるものがあって
最後の一行まで、もう夢中で一気に読んでしまいました。
多分、読む人によって
心が動かされたり、グッと考えこんだり、オオーッと思う部分が違うであろう
ということが、予想されるような、いろんなエッセンスが散りばめられた作品で
私的には1Q84よりも、かなり深く入り込み
いろんなことを考えさせられました。
物語はこう。
多崎つくるは高校時代に、仲の良い友達が4人いた
男2人、女2人で、彼を入れて5人のグループ。
彼らはみんな大都市郊外の中の上クラスの家庭の子どもで
〈名古屋と言わず、わざわざ大都市郊外と書いたところに、
ある種の意図がある気がする・・〉
育った家庭環境、経済状況、教育のレベルなどが非常に似ていた。
ただひとつ違っていることは
つくる以外の4人の苗字には赤、青、白、黒という色の文字が入っていたこと。
やがて高校卒業の時が来て
作るは東京の大学へとひとり進み、残りの4人は名古屋に残り大学へすすむ。
作るが東京へ行った後も、5人の交流は続いていたのだけれど
ある時つくるは、一方的にもう連絡をしないでくれと、一方的に拒絶されてしまう。
自分の戻るべき居場所を一方的に奪い去られたつくるだが
その理由を突き止める勇気がないまま36歳になってしまう。
記憶をどこかに隠せたとしても、歴史は消すことも作り変えることもできない
恋人に言われた言葉をきっかけに
あのとき本当は何が起こったのか、真実を知るために動き出す。
それは彼にとっての巡礼の旅。
そして、そこで知った本当のこととは・・。
(ここから先は、是非読んでみて下さい)
人は、その人生において
どこかで一回は自分というものをバラバラに壊して、
再生させなければならない時があって
それはたとえば
家族や生まれ育った地域性などといった、自分を守られている環境や場所〈色〉からの
離脱を意味する。
現実的な意味においても、精神的な意味においても。
その程度や方法が
男女によっても違うだろうし、育った環境、両親との関係性などによって
人それぞれ違っていて
うまく、生まれた時に持っていた色から抜け出せる人もいれば
もがき苦しむ人もいる。
それは、人それぞれ、持っている色が違うのだから、どうしようもない。
この物語の登場人物たちも
それぞれに葛藤の歴史を歩んでいた。
自分自身に照らし合わせてみると、
たとえば結婚によって苗字が変わり、
子どもを生んだ時点で『~ちゃんのお母さん』となり
そのたびに、自己におけるアイデンテイーを再構築する必要に迫られるわけで
そのたびに、なにか大きな喪失感を味わったのは事実。
これが、男性なら、きっと、こういうことはないのだろうと思いました。
だからこそ(というか)
男性は、ある意味自分で自己破壊を始めることがあるかもしれません。
それを一般的には、反抗期というのかもしれませんが
私の息子も、ほとんど狂気に近いくらいの力で自己破壊をした時期がありました。
あの時は
あれほどの破壊的な力がどこから出てくるのか
また、どうやれば、その力を抑えることができるのか
なぜこんなにも苦しみながら、更に傷口を大きくするのか
私には、どうしても理解ができなかったのですが
今思えば、それは、自分を再構築するための儀式のようなもので
人それぞれ、自分の持っている殻のようなものが違っていて
私の息子は、人一倍頑強な殻を持っていて、
それだけ強いエネルギーでなければ壊すことができなかったのだと
今になれば理解出来ます。
そうやって、自分を壊しながら
本当の自分というものを見つけ
その一方で、目をそらしていたはずの見たくない自分とも向き合い
また、自分の中のなにかを捨てざるを得ない事にもなる。
人と人との心は調和だけで結びついているのではなく
むしろ傷と傷によって、あるいは、痛みと痛みによって、
また、脆さと脆さによって、つながっているのだということに
最終的に、主人公のつくるは気づきます。
読者もまた、自分の過去を思い浮かべながら気づいていきます。
つくるが、自分の心の中にある痛みや苦しみや罪悪感の正体を探り当て
そして自分自身の危うさを受け入れた時
読んでいる私自身も
自分自身の中にある、痛みや危うさや脆さを思い
目をそらしたくなりながらも、その実態を見つめなければと思うのです。
その苦しみや痛さに気づき、受け入れることで
人はいい距離感で調和しつつ繋がっていけるような気がします。
それにしても
前作1Q84の時は、ヤナーチェクのシンフォニエッタでしたが
今回は フランツ・リストの「ル・マン・デユ・ペイ」
早速「巡礼の年」の「第一年スイス」をユーチュブで聞きました。
なんやかんやゆって
結局まんまと村上春樹の手中に落ちている私です。
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