家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
先日の天声人語に、食の二極化という話が載っていました。
食への関心が低い層と先鋭なグルメ層に分かれているという話。
長い歴史の中で
ある程度お腹いっぱい食べられるようになった歴史というのは
けっこう浅く、
一説では、戦後以降ではないかと言われています。
それを『お腹で食べる時代』とするならば
その後グルメの時代がきて、
『舌で食べる時代』、『目で食べる時代』になります。
やがて、バブルが崩壊して、賢く節約したり、
体にいいものを食べる、というふうな『頭で食べる時代』に突入するわけですが
天声人語によれば、もはや頭で食べる時代も全盛期を過ぎたというのです。
私自身も、『頭で食べる時代』のピークは、もはや過ぎつつあるという実感は確かにあって
その先に何があるのか
あるいは、頭で食べる時代が最終ステージで、その先はないのか
それを、手探りで探している状態が続いています。
食に関心のない層と先鋭のグルメの層との二極化と、天声人語には書かれていたけれど
私には、その間にどちらにも属さない層が確実にあって
その層は何かというと
料理というものを自己表現の手段と考える層。
料理研究家というものが、仕事として認知されるようになったのは
せいぜいここ40~50年くらいのこと。
その前は、料理学校などで
花嫁修業の一環として料理を習うことが一般的だったわけです。
その頃と今との絶対的な違いはというと
情報量だと思います。
今や、ネット検索でいとも簡単にレシピも評価も手に入れることができ
簡単にある程度のレベルまで短時間で到達できるし
自己発信もできる。
これは何も、料理の世界だけではなくて
音楽でも、漫画でも、あるいはもっと他の分野のこととかでも同じ事が起こっていて
つまりは、プロとアマチュアの境界線があやふやになってきて
明確に区別できないようなグレーゾーン層が肥大してる。
つまり、一昔前までは
その分野の知識があれば、プロとしてやっていけたものが
今や、知識を持っているだけでは、肥大していくグレーゾーンに飲み込まれかねません。
いろんな価値観が入り乱れて、知識だけでは、もはやプロとして安穏としていられない
でも、この状況って、私的には、けっこう嫌じゃないのです。
なんか、ちょっと面白くなってきたなって、思っているのです。
だって料理って、どうやってもマンネリ化していくものだし
かと言って、新しければいいかというと、そういうものでもなく
特に家庭料理の場合、懐かしさも適度に残すことも必要で。
その辺に、次のステージに行く抜け道があるような気がしていて。
そのために、
今までやってきた方法論や常識を、一旦全部バラバラにして
初期設定するみたいに、もう一度組み立て直す作業が必要じゃないかと思っていて
そんなことを、ここ1年くらい、試みている状況です。
それにしても
食に興味のある人がもっともっと増えるほうが絶対いいので
自己表現の手段として料理を考える人が増えるのも
楽しいかなと思ったりしています。
いろんな価値観があったほうが、きっと食は豊かになり
食以外の、違う価値観も受け入れやすくなる。
食べることに夢中になっている人達のいる国は
少なくとも、無意味な争いなど起こさないような気がするのです。
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