家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
先日読んだ本と同じ著者の本で
世界で豚肉をどんな風に食べているかということを追った本があったので
面白そうで読み始めたのだけれど
いきなり、豚肉を食べないイスラム国家の話になり
そのうち、イスラム教とキリスト教がこんがらがってきて
何が何やらわからなくなってきたので
〈読者の私だけでなく、おそらく著者も〉
豚肉を食べるとくことを知るために
イスラム国家のことを一から勉強しなおしてみることにしました。
こういう時に、頼りになるのはやっぱり池上彰さんです。
『大人も子どももわかるイスラム世界の「大疑問」』
〈池上彰著 講談社プラスアルファー文庫〉
イスラム教の人は豚肉を食べない
それは、一応知っていたけれど
ああ、そう、って思うだけで
それ以上のことを考えたこともなかったのですが
いざ、この本を読んでみると
宗教というものが、いかに人の心の奥深いところにあって
それによって、差別や戦争や人殺しまで起こってしまうんだということを
深く理解することができ
世界の見え方が一変したというか
なぜ、戦争が起こったり、虐殺やテロが起こったりするのかということも
よくわかって
池上先生、教えてくださってありがとう、って思えるような本でした。
実際、豚肉に関する話は数行しか書かれたいなかったのですが
それを差し引いても余りある、たくさんのことを知ることができました。
でもイスラム教の人が豚肉を食べたない理由
それはコーランにそう書かれているから
これ以上でもこれ以下でもない。
宗教というのは、そういうことだし、
それは、もう、日本人の私にはどうやっても理解できないことだし。
ちょっと話は、違うかもしれないけれど
たとえば
わたしは京都の生まれなので
子供の頃からさばを刺身で食べる習慣はなく
塩をして酢でしめて、しめ鯖にして初めて口にすることができます。
それも、さばのみが白くなるまでしっかり酢につけてあるのが
当たり前だと思って来ました。
ところが
おとなになってから、北九州の小倉に5年ほど住むことになって
その時、小倉の人たちがさばを刺身で食べているのを見て、
正直びっくりしました。
更に、しめ鯖もサッと酢にくぐらせる感じで
身はほとんど生のようで、白くもなっていなくて
それも、正直カルチャーチョックでした。
さばにはアニサキスという寄生虫がいるので
生で食べるのはいかがなものなのでしょう?
と、生で食べる小倉の知人に話しても
ああ、たまに当たる人がいるけど、平気平気!!
みたいな、事を言われたりする。
子供の頃から、サバは生で食べてはいけないと言われ
自分の周りの家族も友人も、誰も生で食べていなかった私としては
ここに来て、生で食べても平気平気と言われても
やっぱり、平気平気と口にすることはどうしても出来ませんでした。
子供の頃から、親や周りの人が食べちゃダメと言われた価値観は
やっぱり、もう心の奥深いところに染み付いていて
それを克服することは難しいと思うんですよ。
ましてそれが、宗教とか変わってきたら、それはもう、無理なんじゃないかと思う。
いや、むしろ、無理に頑張って食べる必要もないし。
そういう風に考えると
日本人って
明治の前まで、4つ足の動物の肉は基本食べていなかったのに
〈正確に言うと、豚は鹿児島で育てられて、こっそり食べられていたそうですけど〉
明治維新以降、文明開化とともに肉食文化が一気に入ってきて
牛肉だって、一気に食べるようになった。
自分の鯖のことを考えても
食の嗜好ってそんなに急に変えられるものではないと思うのに
あの当時の日本人って
よく、あんなにすんなりと肉食を日常生活の中に取り入れたなと、
そっちのほうが、感心してしまう。
それは、もしかしたら
やっぱり、底辺に宗教的な心の縛りがなかったからで
宗教的な心の縛りがなければ
習慣や嗜好の壁は
案外、ひょいっと飛び越えられるものなのかもしれないですね。
だから、あっという間に美味しい食べ方を試行錯誤して考えだした。
どうすればもっと美味しくなるだろうと考えたり
楽しく食べる工夫をしたりとか
そういうことって、平和だからこそできることだから
そういう意味では
イスラム世界がたどってきた、侵略や差別や暴力や戦争の歴史の中で
豚肉を食べようとした思わなかったことはもちろんだけれど
おいしく食べる工夫をする余裕など考える状況でもなかったことを
思わないといけないのだと、改めて気づきました。
料理を日々考えられるってことは
本当は、とっても幸せなこと。
コメント