家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
筋肉痛です。
やっちゃたな~というくらい、あちこち痛いです。
特に太もも。
しゃがむのも一苦労って感じ。
ウオーキングとは、使う筋肉がぜんぜん違うってことですね。
そもそも、山に興味を持った理由は
一冊の本なんです。
「森に行く日」
(光野桃著 山と渓谷社)
東京でバリバリ仕事をしていた著者
小学生時代に行ったハードな山登り遠足の思い出から
山には一切興味もなくパンプスでさっそうと暮らしていた彼女。
50歳を目前にお母様を亡くされ
その喪失感から、
何もせずに過ごす日々。
その時に、友人からリハビリを兼ねて連れだされたのが山。
そこで目にした自然の素晴らしさに
一気に山への興味が解放されていくのですが、
その後が面白いんです。
自分に体力が無いことを痛感した著者は
高尾山十本勝負だと息まき
必死になって山に行くことに。
けれど、そんな必死になっている自分を見て
ふと気がつくんです。
これって、今までの自分の仕事の仕方と同じじゃないかと
ゴールを設定し
ひたすらゴールに向かってやみくもに突き進む。
一瞬達成感はあるものの
すぐまた次の目標を設定して、自分を追い込まずにはおれない。
本当は、そういう生活をやめたかったんだ
その時初めて、気づくんですね。
ここ、すごく共感したところ。
そうそう、そうなんだよ~って。
私も、本当は、そういうのじゃない
もっと、自分のペースにあった暮らしをしたいんだ
いつも自分の足りないところを気にして
不安になり、足りないところを必死に埋め続けるようなやり方じゃなく
自分の身の丈にあった暮らし
自分で自分をきちんと認めたあげられるような暮らし。
その後、著者は
長年培ってきた、自分の生き方の癖を見直すべく
もっとゆったりした暮らしに向けて自分を開放し
自分自身を認められるような、山登りの仕方を見つけていくことになります。
長年培ってきた自分の生き方の癖。
それは、自分の癖なんだから、
自然にうちから起こってくる自分の行動ではあるのだけれど
それによって、自分で自分を追い込んで
苦しくさせている場合もある。
特に仕事に関することは
不安からなのか、焦りからなのか
もっともっとと自分を追い込んでいく。
言ってみれば完璧主義ってことなのかもしれません。
80点じゃ許せない
100点を取れない自分を一番許してないのが
ほかでもない自分自身。
私の場合、その仕事が料理で
毎日の暮らしと密接に関係している分
正直逃げ場がない。
朝起きて寝るまで
頭の中はずーっと料理のことでいっぱいで
時に夢の中でも料理をしている。
今回山に行ってみて良かったなあと思うことは
そんな日々の暮らしから
完全に解放されたことでした。
山頂で何を食べようか
何を作っていこうか
そういうことを考えるのは、仕事とは全く違う楽しみがあったし
また、歩いている間は
目の前に歩きの根っこや落ち葉のことでいっぱいいっぱいで
(ついていくので精一杯だったということです)
それでも鳥の声や、風の匂いなどに、つかの間の喜びも感じたし。
また、その時に偶然すれ違った沢山の人達と
こんにちは~なんて言い合う、その刹那的な出会いにも
なんともいえない癒しがありました。
生きているってことだけで
なんてありがたくて、素晴らしいんだろうって
なんか、アタリマエのことなんだけど
本当にそう思えました。
皆についていけないようなダメな自分が
うまく言えないけど
劣等感とかじゃなくて
なんともいえず、愛おしくなったのでした。
運動神経がないというのも、いいものです。
次の山、次の山というように山を攻略していく気持ちは全くなく
ただただ、癒しというか
日々の緊張をリセットするためというか
そのためにまた山に行きたいなと思えるのです。
この筋肉痛が治るのを待って
さて、次はどこに出かけましょうか。
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