家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
料理のレシピ書きに行き詰まると
古い料理の本を開いたりします。
子供の頃からの本好きで
料理の本は小学生の頃から読んでいるので
古い料理書も結構持っているのです。
以前は
子供の頃家にあった婦人雑誌の料理の切り抜きとかも
全部捨てずに残してあって
今の住まいに引っ越してきた時も
その切り抜きを整理したファイルだけでも本棚1つ分ほどあり
更に、店入りの切り抜きにいたっては
衣装ケース2杯分くらいになっていたんです。
でも、数年前
こういう古い記事にとらわれていたのでは
新しい料理の境地に入っていけないのではないかと思って
全て処分しました。
正直、残しておいたら残しておいたで
面白いものもたくさんあったのだけれど
あの時の私には
一旦あれを全部捨てなければ前に進めないような気がして
自分を覆っている硬いカラみたいなものを
脱ぎ捨てるような気持ちだったんだと思います。
あの時切り抜きなどの紙切れ類は全部捨てたのですが
古い料理雑誌そのものはやっぱり捨てられなくて
今も、仕事部屋にドカンと場所を占拠しています。
一番古いもので
昭和47年のきょうの料理がのこっています。
その頃から毎月買って隅から隅まで熟読していたんです。
考えてみたら、変な小学生ですね。
最近、またその頃の古い料理雑誌や料理本を
折にふれて読み返したりしています。
読み返してみると
料理って、その時代時代の流行とか
料理写真の撮り方の傾向とか、器のブームとか
細かいことを言えば色いろあるのですが
家庭料理としての本質は、今も昔もちっとも変わってないことに驚いたりしています。
そういえば、美味礼讃という本を書いたブリア・サヴァランという人が
新しい料理を発見するのは
新しい天体を発見するよりも難しい
みたいなことを書いています。
確かに、そのとおりだと思います。
素材が変わり、調理器具が変わり
素材の手に入りやすさや、情報の伝わり方が
昔と今とでは違っているものの
変わっていない部分も確実にある。
こういう古い料理本をめくりながら
変えなければいけないところと
変えてはいけないところを
きちんと整理し
今の台所にあったやり方で料理できるように
レシピを翻訳していくこと
これもまた、料理研究家にとっては大事な仕事なのかもと思ったりしています。
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