でいりいおくじょのBLOG

2024.07.16

映画日記「ジーザス・クライスト・スーパースター」

 

昨日、読むと書くの教室の後

一緒に参加している友達とお茶をしている時

「ジーザス・クライスト・スーパースター」が話題に出てきて

思わず、身を乗り出しました。

 

「ジーザス・クライスト・スーパースター」

 

これはもう、大学生の頃に劇団四季の舞台を見てから

何回も見ている作品。

 

友人が教えてくれたものは

アメリカで公演された舞台の映像の一部を切り取ったYoutube。

 

以前、アマゾンで見たことのあるものでした。

 

一部なんだけれど、見るとまたみたくなって

アマゾンで調べたら、以前は無料だったのが

今は有料になっていて

 

どうしようかなと思ったんだけれど

やっぱり見たくなって

見てしまいました。

 

ジーザス・クライスト・スーパースターは

その名の通り

イエスの最後の7日間を描いた作品。

 

けっこう激しいロックオペラです。

 

ストーリーは、聖書がベースになっているのですが

時代は現代です。

 

今回、久しぶりに見て見ると

以前見たのとは、全然違う印象を受けました

 

というのも

今回は、全体のストーリー展開とか

歌のうまさとか、音楽性とか

そういう事よりも

 

「信じる」とは何かという事を

すごく考えました。

 

影響力を持っているから信じるとか

何かいいことがあるから信じるとか

得をするから信じるとか

誰かが信じているから信じるとか

話題になっているから信じるとか

 

言葉に書くと

そんなものを私は信じたりしない

って思うけれど

 

実際、その中に巻き込まれてしまうと

知らず知らずに流されているってことが、ないとは言えない。

 

この映画で言うと

イエス自身も、途中から自分を取り巻く群衆を制御できなくなっていきます。

 

以前見た、

ハロルド・フライの旅立ちという映画の事を思い出し

ああ、あれは、イエスの物語のオマージュでもあったのかと

思ったりしました。

 

あの映画は

ハロルドという男性が

友人の病気が治るのを“信じて”800マイルの道を歩いていくのですが

 

途中、それが美談としてSNSやテレビなどで取り上げられるようになり

たくさんの人たちが、一緒に歩きだして

お祭り騒ぎみたいになるんですね。

 

そうなると、一緒に歩いている人たちは

みんなで集団で歩くことが目的になってきて

そもそも、何を信じて歩いているのか

全く分からなくなっていきます。

 

ジーザス・クライスト・スーパースターで

イエスを取り巻く人たちの姿と、それが重なりました。

 

結局

信じるというのは“わたし”の問題であって

“みんな”の問題にはなりえないと思うんです。

 

みんなで同じように信じるなんてありえないし

みんなで信じようとすれば、

それは逆に

分断を生む気がする。

 

声の大きい方が力を持ったり

支持している人数が多い方が正しいように見えたり

声が大きかったり、支持している人が多い方についた方が得をしたり

 

その一方で

少数派で、声をあげられない人が

どんどん、隅っこに追いやられてしまう

 

妬みや、恨みも生まれやすい。

 

始まりは信じることだったのに

それが、憎しみや悲しみや苦しみを生むなんて。

 

この舞台は、現代の話として描かれているんだけれど

2000年たっても、何一つ変わっていない

そこの所も

とても深く思うところがありました。

 

信じるって、愛すると同義語だと思います。

 

信じるとは何かを考えることは

愛するとは何かを考える事だとあらためて思い

 

迷い、戸惑い、嘆き、苦しむイエスの中に

イエスのことが分からなくなっていくマリアの中に

イエスを裏切ったユダの中に

ものすごく深い愛を感じました。

 

こういう映画も、

見る時によって、感じることが全く違いますね。

 

 

The Most Revolutionary Songs From Jesus Christ Superstar (youtube.com)

↑ ↑ ↑

友人が教えてくれたYoutubeはこちら

マリアの歌がせつなすぎて号泣します。

 

ジーザス・クライスト

コメント

  1. ママデューク より:

    「ジーザス・クライスト=スーパースター」の1973年の映画版は、ここで紹介されたので、クリスマスシーズンに観ています🎞️
    でも歌とかキリストのエピソードを楽しむだけで、信じる事は何か?愛する事は何か?というようなテーマは感じる事は出来ませんでした🎞️
    ボクは「ハウルの動く城」や「千と千尋の神隠し」もそうですが、表面的な映画的面白さしか観てないなぁと感じました🎞️でもそれがボクの映画を観るスタイルなんだなぁと感じています🎞️
    それでは失礼致します🙇‍♂️足立区一のお調子者f@

    1. 奥薗壽子 より:

      私、思うんですが
      映画の見方とか、小説の読み方とか
      人それぞれ、個性があるなって思うんです。
      私は、どちらかというと、全体をざっくり見て、感じるのが好きなんだと思います。
      ママデュークさんの書かれた感想を読ませていただくと
      こんな細かいとこ、見ていないなって思う個所が、多々あります。
      それが、その人特有の映画の楽しみ方なのではないでしょうか?
      私正直、細かいとことか、名前とか、全然覚えていなかったりします。

  2. れもん より:

    ジーザスクライストスーパースター を
    高1の時当時の担任の薦めで映画館で1度だけ観ました。
    人間の弱さを受け止めているイエスを、みて涙したことだけを覚えています。
    遠い遠い昔のことです。
    [信じる愛する]ってあまりに大きなテーマすぎて答えられないし、思いを伝えることもできません😅

    イエス繋がりで、というのもなんですが、
    アガサクリスティの「ベツレヘムの星」を読みました。もう、ご存じかもしれませんが、全てクリスマスの短編小説です。
    この本の中に「水上バス」という小説があるのですが、
    以前先生が紹介して下さった
    「春にして君を離れ」の完全版。のように読みました(いや、答え合わせができたかな)
    「春にして…」は不完全燃焼でしたが
    「水上バス」を読み安堵した自分がいます。

    1. 奥薗壽子 より:

      コメント、ありがとうございます。
      ジーザス・クライスト・スーパースターは
      見るたびに、新しい発見があり、感じることが違う気がします。
      次見たら、また違うところに反応すると思います。
      ベツレヘムの星、教えて下さってありがとうございます。
      読んでみますね。

  3. Amy より:

    自分が最後の一人になっても信じる!というのが信じるということなんでしょうね。
    信仰というほどのものはないのですが、四国のお遍路さんに行きたいと思っています。ひたすら歩きたいんです。

    1. 奥薗壽子 より:

      そうですね。
      誰かが信じているから、信じるのではなく
      自分が信じるから信じる、って言う感じでしょうか。
      お遍路さん、いくつか回ったことがあります。
      ひたすら歩くのは良いですねえ。

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