家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
昨日、講座の後で
友人たちとお茶をしたのですが
その時
自分が書いたのはどの詩か
って話になって
言える人と、言えない人がいるんだけれど
私は、絶対に言いたくない派
それは、上手く書けていないから恥ずかしい
って言うのではなくて
自分の書いた詩を、みんなの前で説明するのって
ぐちゃぐちゃに詰め込んだ押入れを開けて見せるような感じ。
隠しておきたいものは、そのままにしておきたいのです
人には見られたくない、奥の方にある自分
それも、自分でもよく分かっていない自分というものが
そこに、いるような気がして
見せるのが恥ずかしいとか
開き直れないとか
そういうのじゃなくて
自分でも、分かっていないような
奥の方にある、とても繊細で危ういものを
これが私の詩ですって言ってしまうと
嘘になるような気がして
だから、自分の書いたものが
詩になっているのか、分からない
というのはそういう意味なのです。
自分でもまだ、はっきりわからないんだけれど
本当のこと。
間違いなく、本当のこと。
そう考えると
今、なんかちょっとわかった事があって
詩を書く事
詩を読んで何かを思い、感じること自体は
私、嫌いじゃないのかも。
言葉にして、書いてみたりするのは
難しくて、上手くできないけれど
それを感じて、言葉にする作業はいやじゃない
でも、
自分の書いた言葉って
大切に扱わないと
あっという間にボロボロと砕けてしまう気がして
まして
これが私の詩です
って言ってしまったら
そのとたんに
本当のことが嘘になってしまいそうな気がして
それが、すごく不安になるんだと思う。
自分の心の奥の方にある
ものすごく柔らかくて繊細な何か
それを、丁寧に確かめている。
そんな感じ。
ものすごく繊細で
ものすごく儚くて
今、それを壊したくなくて
全身にバリケードを張りめぐらせて
嫌いだ嫌いだと言って
自分の世界にこもろうとしているのかもしれません
おそらく
いやだいやだと駄々をこねているのは
この自分の中の、何かわからないものに向き合って
一つ一つ言葉にして
自分の中にある本当のものを
きちんと見つめなおす作業なのかもしれません。
へえ~~~~~~~。
コメント
わたしは小説を書いているんですが、以前に小説講座に通っていたころ、作品を先生や他の受講生どうしで批評し合う機会が必ずありました。
自分の言いたいことが伝わったかどうかを確かめるには、批評会はいいものでした。
ただ、自分が書いた、最後の一文(この作品で主張したいこと)が、読む人によって、さまざまに解釈されるようにと願っていました。
できれば、読んでくれる人の、たとえば悩みを解決するヒントになってくれたりしたら、最高だなぁと思います。
コメント、ありがとうございます。
小説を書いておられるのですね、素晴らしいです。
作品を作っておられる場合は、そういう意見を出しあい、読んだ感想を聞いたりすることは
すごく勉強になると思うんです。
ただ、私の詩の場合、作品を書いているのではなく、
自分の気持ちの奥にあるものをそっと覗いて確認する手段として詩を書いているので
人に読んでもらうことが前提になっていないんです。
そこのところが、違うのだという事に、気づいたという話でした。
小説、いつか読ませていただける機会があればうれしいです。