家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
東京都美術館で開催中の「田中一村展」に行ってきました。
実は、以前仕事で奄美に行った時
田中一村美術館に行ったことがあるのです。
10年以上前のことです。
その時に訪れた
最後に住んでいた家が、
強烈に印象に残っていて
田中一村展が、東京で開かれるというのを聞いた時
鮮やかに、あの時のことがよみがえりました。
画材を買うために
紬工場に働きに行き
お金が出来たら、画材を買って、その家にこもって絵を描く
ただひたすら絵を描く
描くために働き
書くために生きて
そこで暮らしていたということ
68歳で亡くなるまで
日展等に入選することもなく
東京で個展を開くことを夢見ていましたが
それがかなうこともなく亡くなったという事
念願の個展が開かれたのは亡くなった後に
奄美の知人たちの尽力によるものだということ
いろんなことを次々に思い出され
それと同時に
特徴的な田中一村の絵を
ありありと思い出すことができました。
不思議なのですが
この10年、田中一村の名前にも絵にも触れることは、一度もなかったに
田中一村という存在も絵も心の中に住み続けていたのです。
なので、今回の田中一村展は、ものすごく楽しみにしていました。
すぐにでも行きたかったのですが
行った人の話を聞くと、ものすごい人で、ゆっくり見ることができない
という話を聞いていて
少し、落ち着いてから行く方がいいなと思い
今頃になりました。
(平日なのに、すごく混んでいました)
今回の田中一村展は
神童と呼ばれた幼少期に頃の絵から始まり
年代ごとに絵が展示されていて
それが、年代を追って見ることができたのが
すごくよかったです。
というのも
私が、以前奄美で見たのは
奄美に移住した最晩年の作品だけで
だから、田中一村と言えばあれ、みたいな
あの独特の画風の人だと思い込んでいたのです。
全然違いました。
6~7歳の頃からめちゃめちゃ絵が上手で
まさに神童で
自分でもそれをわかっておられたと思う
東京芸大にストレートで合格するのだけれど
2か月で辞め
そこからが、大変なことになっていくのです。
若い頃の絵を見ていると
自分の才能を持て余し
才能があるゆえに、器用に何でも書けてしまうがゆえの苦しさ
壁を破ることができない苦悩が、伝わってきます。
見ていて、息がつまるような感じ。
才能とエネルギーが、行き場を失っている感じが、私にはしました
絵を見ながら
ちょっと前に、書くと読むの教室で
先生が話しておられた、
デカルトの「方法序説」の話を思い出していました。
その話というのは、ざっくり言うとこう。
人が10年かかるものは、誰がやっても10年かかる。
早くできるようになる人は、確かにいるけれど
早くできるようになった人ほど
才能がある人ほど失敗が大きい
この話を聞いた時に
すごく、分かるわあ~~って思って
今回、田中一村の絵を見ていると
まさに、それやん、って思ったのでした。
天才なんですよ。
人より、何倍も早く上達し、器用に何でも描けるんだけれど
だからこそ、つまずき、前に進めない
たぶん、自分でも、かなり苦しんだのではないかと思います。
20代、30代、40代頃の絵を見ていると
息がつまる感じがして
なんか、すごく苦しくなりました。
いや、上手いんですよ。
器用に、いろんなものが描ける。
けれど、素人目に見ても、苦しい。
晩年の絵とは、まったく違う。
田中一村は、人よりもたくさんの才能を持っていたがゆえに
ずいぶん遠回りをした人だったのだという事を
今回、あらためて感じ
けれど、最終的には奄美に移住し
絵に人生の全てをかけて、超人的な努力で
自分の画を確立していく
それは、もう、後ろがない、すさまじい世界だったと思われます
晩年の絵が展示されている最後の展示室では、それをものすごく感じて
なんだか、泣きそうになりました。
いやあ、素晴らしい展覧会でした。
東京都美術館で12月1日まで
けっこう込んでいますが
おすすめです。
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絵ハガキです
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