家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
今日は詩の講座です。
今日は、新しい発見
それも、うれしい発見が2つありました。
一つ目は
サブテキストの本が少し読めるようになったこと
今回のタームのサブテキストは
吉本隆明さんの「詩とは何か」(思潮社)
このテキストが、さっぱりわからなくて、
ただでさえ分からない詩が、ますますわからなくなるという
とんでもない事態に陥っていて
これはもうダメかも‥‥と思いつつ
毎回、がんばって、一応何度も読んだりしていたんです。
でも、根本的にわかっていないから
この本を理解することは無理だろう、って
ほとんど絶望的な気持ちでいたところ
今回のレジュメを読み始めたら
なんと!!
読めるんです。
うそっ!
自分で自分を疑いつつ、読み進めていくと
なんか、めちゃ分かるようになっておる
で、
なんか、じわじわしみてくる。
なんで?
以前、先生が言っておられたんだけれど
本って、少しずつ読めるようになるのではなく
全く読めない状態が続いても
全く読めないなあ、分からないなあってい思っていながら
それでも読んでいると
ある日突然読めるようになる、そういうものらしい。
まさに、そうでした。
いや、最近、他の本でも、こういう現象が起こっているので
何かが私の中で変わってきているのかもしれません。
2つ目は
科学者が見ている世界というのは
分かるわからないの現実的な世界であり
そこに、詩はあるのだろうか?
という話を先生がされていた時
ああって思い
父のことを思ったんでした。
父は科学者だったのだけれど
この世で、確かなものは何もない
という考えを持っていて
科学は、分からないことをわかるようにするものではなく
分からないものを、分からないとわかるために科学がある
という考え方をしていました。
私は子供の頃から、そんな風に言われて続けてきたし
父は常々
分からないもの、目に見えないものの方が、むしろ大切なのだと
言っていたのでした。
この世は、多次元で
目に見える次元だけでなく
目に見えない次元も、自分たちは生きているのだと、
父はよく口にしました。
あの頃、まだ私は幼過ぎて
多次元という言葉が、上手く理解できなかったのだけれど
父が、多次元の世界が理解できるようになれば
世の中が違って見える。
と、しばしば言っていた事を
今日は突然思い出して
ああ、父の言っていた多次元世界というものが
この講座で言う、実在とか実存とか
そういう多層的な世界のことを言っていたのだという事に気づいたのでした。
そして、その時
分からん、好きじゃないと言いつつ
なぜ、こんなに詩に心惹かれるのか
それが、分かったような気がしたのでした。
それは父が愛した多次元世界は
まさに、詩の世界なのだと
そうか、どんどん深い層に入っていく感覚は
子供のころ、父から教わった事だったのか。
そんなこんなで
分からないなりに
少しずつ、詩と仲良くなりつつある私です
コメント
言葉では表現できないのですが、色んなものと色んなふうに繋がっている感じ、ってありますよね。気持ちで納得するみたいな。。。繋がっている感覚って温かいんです、私には。難しい詩がわかったからといって、数学の理屈がわかったからといって明日からの私の生活が変わるわけではないけれど、私自身が色々なものや人に支えられて、多次元の中で浮かんでいるような感覚を認識できる時があります。自分一人では存在しえない、過去からずっと続く時間の中での自分、宇宙の中での自分、時間でも測れず、物質としても測れないけれど存在するものたちと繋がっている自分。
「わかった!」ということは「自分が何らかのの真実とつながった」ということなのでしょうか。精神的に深くなっていけるのは単なる知識の集積とは別次元のことですよね。