家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
Youtubeを週1回にしたら
少しはゆっくりできるのかと思ったのだけれど
現実は、前よりも忙しくなっている。
なんで忙しくなっているかというと
あれもこれも、今まで読めなかった本が読めると思って
読み始めているからで
読み始めたはいいけれど
一回では理解できないから
数回読み返す必要があり
そうなると、今までの時間の使い方では
まったく時間が足りなくなってしまっているのです。
忙しいというのは、
ある意味、すごくありがたいことで
時間は全く足りていないんだけれど
足りていないという事が自分でわかっているから
ぼーっとしたり、だらだらしたりせず
やらねばならないことを、段取りよく、チャンチャンとやれるというか
前より、うんと段取りよくやっている気がしています。
何が段取りよくなったかというと
野菜をまとめて洗って切って
すぐ使えるようにしておいたりとか
まとめて試作をして
すぐに食べきれない分は、せっせと冷凍しておいて
お昼ご飯や夕飯に、それをうまく使って、時間を節約したりとか
前までは、
今作って、今日、明日くらいで食べきれる分だけを作って
食べきれないなと思ったら、別のタイミングで作って
作っても食べきれない時は、試作をするのをやめて
っていう風にやっていたんです
なんとなく、作り置きに抵抗があって
なんだろう?変にこだわりがあったのかもしれません
でも、最近は、めちゃ作り置きもしているし
めちゃ、食材の仕込みもしているし
冷凍して大丈夫なものは、めちゃ冷凍もして
ふと気が付くと、
そういうことも、結局は家庭料理研究家として
生きた経験と実践なのかなと思ったりしているところです。
これから年を重ねて言った時
いかに、楽してバランスよく、美味しく食べることができるか
自分では、自分が楽して本を読む時間を作りたいだけだったんだけれど
これって、もしかしたら
けっこう、実践的な試行錯誤なのかもって思ったのです。
本を読む時間を作りたい
と
美味しく、健康的に食べたい
と
料理する楽しみや達成感も失いたくない
みたいな、いろんなことがうまくバランスをとれる工夫
いろいろ試行錯誤中です。
おねむですねん・・。
コメント
「このお料理を正しく作れない私を受け容れられないワタシ」というのがいて、これってガチガチの”我”ですよね。我って”欲”ですよね。人に「美味しい」とか「すごい」とか言ってもらいたいわけではないんです。食事中の姿でこういうことはわかります。純粋に私の我欲です。この感情に囚われている限り、お料理を楽しめないのでは。。。
でも、奥薗先生の後を付いていっている、つもりです。
いつもコメント、ありがとうございます。
正しく作れない私を受け入れられないワタシ、って
確かにいるのかもしれません。
それは、たぶん、食べてくれる家族に対する想いとか、責任感とか
そういうことも関係しているかもしれません。
でも、我欲は、生きるエネルギーでもあるので、別のそれが悪いわけではないと思いますよ。
それが、料理を作るモチベーションにもなってるかもしれないし
逆に、どんな出来でも気にしなくなったら、それはそれで、また、何か喪失感があるかもです。
人間、歳をとると、少しずつ変わっていきますから、
今の自分は、こうなんだと理解していれば、それはそれで素晴らしいと思いますよ、私は。
言葉が足りませんでした(汗)。先生の後を付いて行っているつもりです、というのは私が勝手に先生のお弟子のつもりでいるということです。先生のどんなお話も私の日々の暮らしに役立っています。
いやいや、私なんか、本当に足りない事だらけで
自分では、もう少し何とかならないものかと思っています。
でも、その足りないのをどうしたものかと思っているところに
人間らしさがあるのかもって思ったりもしています。