家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
今日は「化粧」というお芝居を観に行ってきました。
学生のころ芝居をやっていたので、あの頃はよく見に行ってましたねえ。
あの頃ちょっと勘違いして、才能もないのにお芝居をやりたいなんて思った時期があって
でもあっけなく夢破れ、芝居をあきらめてからは全く見に行かなくなってもう30年
ところが最近、またちょこちょこ見に行くようになりました。
あの頃は関西にいたので、
東京でやっているお芝居を見に行けるわけがなく
見に行けるのは関西公演があるときだけ。
その後、東京に住むようになったので
行こうと思えば、好きな芝居を見に行けたはずなのに
今度は、お金も時間も余裕がなく、全く行けず
そうして、長くお芝居から離れていましたが
最近になって、お芝居に行く余裕ができて
なんか、人生って不思議ですね。
今日見た「化粧」というお芝居は、井上ひさし作の一人芝居で
もともと渡辺美佐子さんが長年演じてこられたもの。
実は、学生時代、何度も見た、大好きなお芝居。
それが、数年前渡辺美佐子さんから、平淑恵さんに代わっての公演。
やっぱり、演じる方が変わると、同じお芝居でも随分と印象が違いますね。
大衆演劇一座の女座長が、平さんが演じられると、ちょっと品よくなった感じ。
舞台は壊れかけた大衆演劇場の楽屋
時代の流れの中で立ち退きが決まり、マンションが建つという。
その劇場が壊される最後の興行を務める五月座の座長、五月洋子
その洋子が演じる演目は捨てた親と、捨てられた子が再会する人情劇
実際の洋子も夫に逃げられ、子供を捨てている過去があるです。
楽屋で、化粧をしながら芝居の稽古をしながら、芝居を演じる洋子
洋子のひとり芝居
だれも出てこず、だれも見えず、
ただ芝居が進行していくにつれて、芝居小屋そのものがリアルに壊れていく。
このお芝居が書かれたころ
確かに、昔ながらの日本の国劇から、新劇へと時代が変わりつつあったし
高度成長した日本は、そうやった昔ながらのものを切り捨てて、先進国へとかじを切ったわけで
どうしようもない時代の流れの中で
失われていくもの
最後、洋子が昇天するシーンの解釈は、意見が分かれるところかもしれませんが
洋子は、この世の人ではなく
この芝居小屋(日本の古い伝統)がなくなるのを悲しんで、最後にやってきた亡霊にも思え、
また、いくら時代が変わっても決してなくならない普遍のものが
やはり日本全体を覆って俯瞰しているのだということを暗示しているようにも思えました。
古いものと新しいもの
白か黒かではなく、いい感じでグレーがある状態が健全なのかもね。
映画を見た後、NEWoManの中にあるブルーボトルコーヒーへ。
おしゃれすぎて、どこがレジでどこにあるのかわかりづらく
いつもコーヒー買えずに素通りしていたのですが
今日はやっと買えました。
昔ながらの喫茶店がどんどんなくなって
こんなおしゃれなコーヒー店がどんどんふえています。
ここにも、また、どうしようもない時代の流れがありますね。
でも、こんなに近代的で果報的なカフェなのに
コーヒーを入れるところだけは、人の手で一つ一つドリップしている。
ここにも、いい感じに新旧が混在している場所がありました。
コメント
先生、おはようございます。
そうなんですね~。
先生のエピソード、楽しいです。