家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
先日読んだ京都産業大学での講演と対談をまとめた本
「僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう」
以来、すっかり山極先生のファンになってしまい
続けて2冊ほど先生の本を読みました。
「サル化」する人間社会(知のトレッキング叢書)
「なつ教授の霊長類学入門4山極教授の特別講義「サルと歩いた日本 ゴリラと歩いたアフリカ」「サルからヒトへ」(知は力なり!シリーズ)
山極先生の何がすごいといって
これまで、サルにもゴリラにも全く興味なかった私が
夢中になってゴリラやサルについて書かれた本を一気読みしているということです。
これはもう、山極先生の文章力というか
話のもっていき方のうまさというか
山極先生が、どこかに書いておられましたが
この人の話なら、聞いてみたいと思わせたもの勝ち
という、山極先生の作戦にまんまと引っかかったという状況です。
とにかく、先生の話は面白く
どんどん、読んでしまうんです。
サルとゴリラの違い
サルは、力の格差社会で、強いものが弱いものを支配する縦社会で
ゴリラは優劣の意識がなく、勝つとか負けるとかという認識もない
人類は熱帯雨林を出て、他のサルとは違う進化を遂げ
「家族」「共同体」という2つの集団の中で暮らすというのは
他の動物にはない特徴だそう。
人は、その二つの集団の中で生きてきたことで
見返りを求めずに奉仕すること
何かをしてもらったら、きちんとお返しをすること
自分がどこかに所属しているという認識をもつこと
この3つの普遍的な社会性を得ました。
けれど、今「家族」とか「共同体」(社会のコミュニテイー)が崩壊しつつある中で
その人間が持っていた普遍的な社会性が危うくなってきていると、この本では指摘していて
それを、「サル化」と先生はおっしゃっているようです。
つまり、
勝つか、負けるかという理論が最優先し
それは、得か損かという価値で社会が動くということで
強いものが、弱いものを支配し続けるという社会のこと。
自分の利益のためだけに働けば
今よりもっと効率的で、もっとお金持ちになれるかもしれませんが
それが、果たして豊かさにつながるのか
それって、幸せなことなのか
自分が何かを手に入れるということは
それを手に入れられなかった誰かがいるということかもしれないし
自分が得をすれば
損をした誰かがいるということかもしれないわけで
少なくとも日本人は、
いつも、自分だけがよければいいとは考えず
誰かのおかげと、目の前にはいない誰かに感謝するように、
子供のころから教えられてきたように思います。
山極先生のゴリラの話を読んでいると
目を見て、許しあったり
弱いものも分け与えたり
よわいものをいたわったり
そういう社会っていいなと思う。
そう思って自分のことを振り返れば
私もまた、勝たないといけないような
そんな価値観に洗脳されて
それが強迫観念のようになって
どこか、疲れてきていることに、気づいたりしました。
勝つとか、負けるとか
そもそも、そういうのって、意味がないし
分け与えたり、許したり、受け入れたり
そういうことでいいんだと思うと
なんだかふっと心が軽くなる気がしたのでした。
コメント
先生、おはようございます。
絵が可愛すぎます?。
山極先生に嵌まってしまったのですね。
人間は、決して一人で生きているわけではないのですよね。
目の前にいる人に対して、いつも優しい気持ちでいられる人間でありたいです。
先生、今日も1日健やかにq(^-^q)。
厚揚げバーグ、アイディアですね~。