家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
昨日映画の話を書いたのですが
書きながら、なんとなく気持ちと言葉がしっくりいっていないなあと思っていて
映画にすごく共感しているところがあるのに
上手く伝えられないもやもやが残っていました。
その後も、お風呂に入ったりご飯を作りながら、あの映画のことを考えていて
ようやく、気づいたことがありました。。
ちょっとネタバレを覚悟で書いちゃいますが
映画のストーリーはこうだったんです。
老夫婦が住み慣れたマンションを競売に出すと
すぐに買い手がつくけれど、想定していた値段より安い。
でも、すぐに決めなければ、もっと安くしか売れなくなってしまう。
一方、次に住むところを買いに行き、自分たちの希望の金額を提示し
早く手付金を払わなければ競売に負けちゃうので小切手を持っていくんだけれど
売り手の方は、もう少し高く売れると売り惜しみをしているんです。
モーガン・フリーマン演じる夫は、自分たちの過ごしてきた幸せな時間は、こんな値段なのかと思う。
家の価値は買い手が決める。
それが市場経済というものだけれど
でも、自分たちが暮らしてきた時間、幸せな思い出までもが、安く値踏みされてしまったような気がするのも無理はありません。
実は、主人公の老夫婦の夫の職業は画家で
昔は、絵が売れていた時代もあったんだけれど
今はもう全く売れていない。
奥さんの方は、夫の絵の芸術性を信じているので
知人の画廊オーナーに絵を売り込むんだけど
今はもう時代が変わって、この絵を買う人はいないって言われてしまう。
で、結局、芸術というのはそういうものじゃないって啖呵を切って
画廊オーナーとけんかしちゃうんです。
買い手に受ける絵を描けば絵が売れる
でも、買い手に迎合して、売れる絵を描くって・・・。
売れなくても、自分が好きで書いている絵に価値がないわけじゃない。
自分の書きたいものを書くのが芸術だけれど
売れるものを書かなければ、仕事として成り立たない。
家も、自分の各家も
自分が価値を決めるのではなく
自分以外の誰かの評価によって、価値が決められてしまうことに、何とも言えないやりきれなさを感じるんです。
その場面を思い返すと
自分の価値は、誰が決めるんだろうって思いますねえ。
たとえ誰かに評価されなかったとしても
自分が満足していたり、自分が気に入っていたりすれば、それでいいとおもうけれど
社会の中で生きていくためには、それだけでもダメで
他人からの評価は、あくまで一つの物差しで
それに振り回されて、一喜一憂するのも違う。
最終的に、この映画の老夫婦は、
マンションを売るのをやめて、多少の不便があっても、今ある幸せの方に目を向けて暮らしていくことにするんです。
結局、すべてが満足いく暮らしも、人生もないわけだし
この映画の主人公は、
あくまで自分の物差しで、自分の価値観で、生きることを選ぶ。
これまでの生き方を肯定することで、前向きに生きていこうとする姿が
なんかすごく後味のいい映画だったんです。
うん、そうそう。
私も、時に、他人の評価や、どうでもいいことにとらわれること、あるからね。
こういう映画を見ると、もっと自由になってもいいと思えるんですよね。
コメント
先生、おはようございます。
映画や本は、新しい発見ができますね。
また、モヤモヤを明るい方へ導いてくれたり、色んな角度から物を見たりすることで、あらためて考えることや、次元の違う物を受け入れられるようになる気がします。
私も、もっと沢山映画を見たり本を読みたいです。
疲れている時は、どうか無理なさらないでくださいね。
先生、今日も一日健やかにq(^-^q)。