家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
釈徹宗さんは
めちゃめちゃ難解な仏教の話を
とても面白おかしく話してくださる大好きな先生です。
とはいえ、私の理解力がついていけないことも多々あります(すいません…)
そこで、対談本なら、話し言葉なので
分かりやすいのではないかと思い、読んでみました。
「自然を生きる」(玄侑宗久・釈徹宗著 東京書籍)
知の塊みたいなお二人の対談なので
話し言葉とは言え、かなり内容は濃いです。
また、話がいろんなところに目まぐるしく飛びます。
いろんな話をされていますが
タテ社会と、横社会という話をされていたのが
一番印象的でした。
昔は、家の中で代々受け継がれてきたものがあって
それは世の中の、たとえば地域の中とかでも
そういう、普遍な部分として守られてきたことがあった。
ところが、そのタテにつながってきたものがぶつぶつと途切れ
人間関係が横に広がっているという話です。
私は、タテ社会と横社会の是非はともかくとして
インターネットが普及していけば、
それはもう、横社会になるのは必然であり
これから先、インターネットがなくなることはないこと言うことを思えば
これから先も社会は横の広がっていくのだろうと思っています。
横に広がることで、長く受け継がれてきた
ある地域の伝統やら、習慣やら
あるいは年功序列とか
もっと言えば、お葬式や、お墓の習慣といった
たてのつながりがどんどんなくなっていき
そのうち消滅してしまう可能性もある。
でも、私は、消滅するのではなく
形式が変わっていくだけなのではないかと思うのです。
釈さんの話のなかで、特に興味深かったのは
病気でだんだん体が動かなくなっている人が
どういう時に、明日もまた生きていこうと思えるかと聞くと
誰かとつながっていると感じた時だとおっしゃったという話
人は、誰かとつながっていることで
自分が生きていることを肯定し
また、生きていることに感謝するのだと思います。
インターネットの普及により
そのつながりという概念が大きく変化し
血縁とか、地域とかを超えた誰かとつながっていけるようになった
ってことなんじゃないかな。
けれどやっぱり、
人は誰かとつながっていたいし
誰かに必要とされたいし
何かの役に立ちたい
ってことは、これから先
人間関係が横に広がっていったとしても変わらないと思う。
そこに、普遍な何かがあるような気がするなあ
コメント
奥薗先生
とても興味深い対談内容ですね。
ヨコ社会が広がり、本来繋がるはずがなかった人と繋がって、素晴らしい出会いが沢山あることに感謝しつつ、
同時に、ヨコ社会が拡散し過ぎて、色んな意味でリスクの高い相手と繋がってしまうことに、(年齢が幼ければ幼いほど)警戒もしなければならないと痛感する今日この頃です。やはり、五感を駆使して、付き合っていく人を見極めるというリアル体験がベースにあると、ネット世界でヨコ社会を上手に渡る時も強いような気がします。
伝統的なタテ社会(守られている一方でしがらみも強い….?)、ネットに代表される現代的なヨコ社会(広い世界でステキな出会いがある一方で危険な出会いも….)
….まあ、どちらにせよ、やはり人は人との関わりが生きていく上で欠かせないですねえ。
なんやかんや言っても
やっぱり人は、誰かとつながっていなければ生きていけないんだなあと思います。
その上で、どんな風に横につながっていくのか、それが難しいですね。
たてのつながりの場合、自力でなんとかできることが少ないですが
横のつながりは、自分でコントロールする必要がありますから。