家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
歴史好きなので
司馬遼太郎の本は、本当に面白いと思っているのだけれど
何せ、話がすぐに横道にそれて、なかなかストーリーが進まず
(それが司馬遼太郎作品の魅力でもあり、面白さなのだけれど)
一冊読み終わるのに、かなりの根気と時間が必要になります。
「菜の花の沖4」(司馬遼太郎著 文春文庫)、やっと読み終わりました。
和食に欠かせない旨み。
その代表である、昆布、煮干し、かつお節。
中でも昆布は、今でこそ和食の基本中の基本ですが
そもそも北海道=蝦夷でしか採れないので
江戸時代、航海術が確立され、新たな経済の流れが出来上がるまで
本土に入ってくることがなかったものです。
和食の基礎は、室町時代ごろに確立されたといわれていますが
少なくとも、昆布、かつお節といった旨みの文化に関しては
航海によって物流の仕方が変わった、この時代に確立したといえると思います
そもそも、米本位制をしいていた江戸幕府は
米が育たない蝦夷地域に、ほとんど存在価値を見出していませんでした。
ところが、その 米を運ぶために発達した廻船業が
新しい経済価値が生むことになります。
つまり、蝦夷で、タダ同然の海藻や魚を本土に持っていけば高く売れ、
本土のコメを蝦夷に持っていけば、高く売れる。
その差額を利用すれば、巨万の富を得ることが可能になる。
こうして、回線業者が富を得る一方で
日本人の生活は昆布だしで食の世界が大きく飛躍し
蝦夷から運ばれたニシンからとった油は、生活をあかりとして用いられて
夜の生活を明るく照らす一方で
脂を取ったカスは、木綿や菜の花の収量を格段に増やして
温かい着物、夜のあかりといったものが、人々の生活を豊かにしていきます。
江戸時代に起こった、この物流革命は
それまでの日本人の暮らしを大きく変えたし、ひいては、
幕府の崩壊、そして、日本が近代国家になるきっかけにもなったといえます。
最初は、ものを運ぶのに、陸路より船で運んだほうが、大量に早く運べるという単純なことだったはずが
やがて船が止まる港が栄え、船を持つ廻船問屋が経済力を持ち
タダ同然のものが、高価なお金の価値を生むようになり
それが、衣食住のすべてに影響を持ち始める。
そう思うと、あの頃の経済革命に似たようなことが
今、私たちの周りでも、大きな革命というべきことは起こっている気がしていて
それは、情報革命
それまで、情報を自由に手に入れられるだけで豊かと感じた時代から
手に入れるだけではなく、だれもが自由に発信することに豊かさを感じるようになり
やがて、情報を手に入れたり、発信することはあたりまえになり
いかに情報に価値を持たせるかということが問われる時代に変化してきたように思います。
例えば、情報を、料理のレシピに関する情報に絞って話をすれば
かつては、レシピを発表することこそが、レシピ情報の価値だったけれど
やがて、だれもが自由にレシピを発表し、情報を流せるようになり
そのことにより、今は、レシピ情報など、履いて捨てるほどあふれるようになりました。
玉ねぎ料理、って検索するだけで
一生かかっても作れない量のレシピを一瞬にして手に入れられる!
その中で、本当にほしいと思っている情報はなになのか
本当に役に立つことってなになのか
料理の作り方だけではないプラスアルファー。
家庭料理研究家に求められているものは何なのか
莫大な量の情報が簡単に手に入るようになったはずが
情報の価値は下がる。
菜の花の沖の主人公嘉兵衛が家庭料理研究家なら
今、やるべきことは何だと考えるかなあ。
料理研究家も、家庭料理研究家も、いま大きな変革を強いられている気がしています。
優れた歴史書は、いま世の中で起こっていることを俯瞰で見る手助けをしてくれ
今自分は何をするべきかのヒントを与えてくれます。
司馬遼太郎さんの本にひかれるのは
そのヒントが隠されているから。
司馬さんの本を読むと、たくさんのことを考えさせてもらえる代わりに
逆に、考えが膨らみすぎて、収拾がつかなくなり
今回もまた、まとまりのない文章になってしまいました、すいません。
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さてさて、今日のお弁当
シュウマイ
かぼちゃのしょうが煮
竹輪と切り干し大根と人参の煮もの
ブロッコリー
焼きたらこ
シュウマイは、昨日の晩ごはん、取り分けておいたものです。
ちょっとかわいいかなと思って、グリーンピースの代わりに冷凍コーンを張り付けてみました。
焼きたらこは、たらこをグリルで焼いただけ
焼いたたらこって、ぐっと旨みが増し
お弁当にちょっとはいているだけで、白いご飯のいいおかずになりますね。
かぼちゃのしょうが煮は
いつもの甘煮を作るとき、しょうがのせん切りをたっぷりと入れただけ。
しょうがが入るだけで、なんだかおかずっぽい味になります。
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