家庭料理研究家奥薗壽子オフィシャルサイト
京都で過ごした年月と東京で暮らした年月が
だんだん等しくなりつつあります。
けれど、京都を離れてからのほうが
京都をもっと知りたいと思うようになり
京都のことがますます好きになっています。
京都に関する本も、
京都で暮らしていたら、そんなに手に取ることはなかったかもしれませんが
離れているからこそ、京都のことをもっと知りたくて読んでしまいます。
今日読んだのは
「梅棹忠夫の京都案内」(梅棹忠夫著 角川選書)
この本は、京都出身の民俗学者、梅棹忠夫さんが、あちこちで京都について書かれた文章を一冊にまとめた本。
1987年出版ですが、文章が書かれたのは、1951~1965年ということなので
半世紀以上前ということになります。
京都の歴史や、名所旧跡について書かれている部分は、古くなるはずもなく
むしろ、広くて深い歴史の知識と、文章力と、俯瞰で物事を見る的確な距離感と
さすがに頭の良い方が京都案内を書かれたらこうなるのか、と感心するような読みやすさと面白さでした。
中でも特に面白かったのは、京都言葉に関する考察。
これが、本当に面白くて、面白くて。
嘉門達夫さんの「関西キッズ」という曲(?)を彷彿させます。
(この曲(?)は嘉門達夫さんが、関西弁の正しい発音のお手本を示してくれて
まるで英語の教材のように、それを生徒みたいな人が発音するというようなコンセプトで
ばかばかしいんだけど、めちゃめちゃ笑えます)
この本に、詳しく書かれていますが
一音の名詞の発音は特に難しいですね。
標準語だったら「目」は「め」で、終了ですが
関西弁になると、めぇ↑となる。
音が伸びて語尾が上がる。
ところが
「歯」は、はぁ↓となって、語尾は下がるんです。
手は、てぇ↑
毛は、けぇ↓
火は、ひぃ↑
語尾を延ばして、揚げるか下げるかすればいいのかというと、そうでもなく
蚊は、かぁ→
血は、ちぃ→
まさかの、上りも下がりもせんと、そのままのばすだけ。
しかも、音が中途半端な半音みたいな変な高さのところで伸ばす
さらに、二音になると
春は、はる↑ぅ↓・・・・・るで上がって、うで一気に下がるんです。
名詞だけでも、マスターするのが結構難しい。
そのほか、京都言葉の、言葉のちぢめ方とか
例:早く行こう→はよいこ
白くなった→白なった
形容詞を、二回重ねて言う傾向があるとか
例:大きい犬 →大きい大きい犬
:古い洋服 →古い古い洋服
京都人あるある。
相当、詳しく考察してあり
京都人なら、間違いなく、おおーそうそう、そんな風に言う言う
と、相当楽しめました。
この本だけで、京都言葉をマスターできるかどうかは疑問ですが
この京都言葉の部分だけでも、相当面白いので、おすすめです。
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さてさて、今日は、先日京都で食べた鶏の甘酢あんかけを作りました。
鶏肉はいつもよりしっかり目に味をつけ、
衣は、薄いあんがうまく絡むようにしっかりと厚めにつけて、かりっと揚げます。
それに対して、甘酢のほうは、酢を少なめ、
全体に調味料を控えめにして、あくまで鶏のから揚げ自体の味を引き立たせるように。
本の中で梅棹氏が
「江戸のつけ味、大阪のだし味、京のもの味」
という風に書かれているけれど
確かに、京都は調味料の味で食べさせるのではなく、
素材の味を最大限に引き出して、おいしく食べさせる料理ですね。
一般的な鶏の甘酢あんかけだと
鶏のから揚げの味付けはあくまで控えめにしておいて
しっかり味のからませることで、鶏のから揚げにしっかり味をつけますが
それは、東京のつけ味的発想。
それに対して、
鶏のうまみを引き出し、空揚げ自体のおいしさを味わうために
から揚げだけでおいしく食べられる味付けに仕上げ
あくまで、あんは、空揚げのおいしさを引き立たせるように作る、
これが京都の料理の発想ですね。
実際作ってみると
普段は、あんの味で味をまとめていたので
結構、味の足し算と引き算が難しかったのですが
味の強弱を逆にすることで、確かに
鶏のうまみと、空揚げの香ばしさは、確かにこれのほうがしっかり感じることができました。
すごい!!
今回の、京都散策で
京都の新しい味の組み立てを再発見でき
まだまだ、自分の知らない食の世界があることにワクワクしつつ
自分の味覚や、感覚の中にある京都の味をもう一度再確認することで
新たな料理の世界が広がる予感がしています。
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